カテゴリ:社会派 真剣
今日、ちょっと無謀かとは思いつつも、藤沢の我が家から三島へお彼岸の墓参りに行ってきました。その途次感じたことと+αをつづります。
まずは冷静になるための深呼吸 スーハー、すーー、はぁぁぁぁ 今日の私の行程は 藤沢市善行(徒歩・小田急江ノ島線計画運休)藤沢駅(東海道線)小田原(新幹線)三島(徒歩)お寺(徒歩)三島広小路・昼食(徒歩)三島(東海道線)熱海(東海道線)藤沢(バス・小田急江ノ島線計画運休)藤沢市善行 赤字は出発前から織り込み済みの行程です。 東海道線、平塚から先は通常の6割程、熱海からのJR東海は1時間2本程度の運転という情報は得ていました。 なので、小田原か熱海で新幹線を場合によっては使おうということも織り込み済み。 さて、藤沢駅すぐの平塚行きのあと5分後に熱海行きが来るというまことにラッキーなスタートです。 が、電車に乗ってから熱海での接続が心もとなくなってきました。なのでグリーン車に乗ったつもりになって小田原から通常運行している新幹線を利用しました。 お墓参りと、(これが墓参りに行く最大の楽しみ)鰻を食べて(三島市内が計画停電中にもかかわらず営業してました)、駿豆線の駅へ。三島行きは30分後とのこと。まぁここから三島駅までは歩いても構わない距離なので、三島駅へ。駅に着いた時点で、在来線か新幹線かを選ぶつもりでいたら、何ともラッキーなことに15分ほどで熱海行きが来るという。熱海での乗換も10分ほどでいつもはややせわしない乗り換えが余裕を持ってできたのでよかったです。 ここからが問題なのですが 東海道線空き過ぎ! グリーン車を使ったので断定的なことは言えないのですが、途中のホームの様子や藤沢駅で降りた時に見た普通車の様子では普段より空いているくらいです。 気になったのは、すれ違う列車の多さです。 午前中はラッシュの返しで下り回送を多く設定するのは分かりますが、午後、運転を削減しているはずの平塚以西で回送列車とすれ違ったのにはびっくり。本数を削減しているのだから客扱いしろよ!と言いたくなります。まぁ乗務員のダイヤの都合などもあるという鉄道側の言い分もわからなくはないですが… グリーン車など列車の間引きも影響してかアテンダントが2人も乗務するという豪勢振りです。 まだ国中が震災モードになっているので人の流れも少なくなっているのでしょうが、この乗車率であれだけの本数を出す必要があるのでしょうかね? 片や相模線などは運休しているわけだし。 東海道線の列車本数、ラッシュ時以外は回送を走らせる余裕があるのなら、今の半分くらいの運転本数でかまわないので、地震や津波の直接の影響がなかった区間は(もちろん間引きありで)全部の区間で運転できるように努力してもらいたいものです。JR東はラッシュを自前で賄える(とニュースで言っていた)発電設備があるのだから東電の計画停電を言い訳にするわけにはいかないと思います。東電から供給を受けている保安設備も踏切には人を立たせればいいわけで、信号なども極限まで列車本数を落とせば閉塞票などを使って安全の担保はできます。 地震以降善行から出なかったので電車は運転していないのが当たり前(長後以北は結構走ってるみたいだけれど)、三島に乗り物で行けるだけでもありがたいと思っていたのが大きな間違いであることに気が付きました。 小田急線にしたって信号などは線路際から見て生きているのを確認したのであと外からわからないのは踏切の保安ですよね。 でもこれも先ほど述べたように人を立たせて警戒に当たればいいわけで30年前だったら、多分この方式で運転していたのじゃないかとワタシは考えるわけです。 結局、小泉・竹中路線で平常時に手が足りていればいい、というのが企業の側に浸透してしまったのでしょうね。鉄道などは切符を売るにも、踏切保安をするのにも知識と経験が必要なのだから本来なら少し手が空くくらいでちょうどよかったのです。 ワタシがコーコーセイだった約30年前、都内の集団ゲリラで壊滅的になった何百本と束ねてある信号ケーブルをつなぎ直してその日の夕方にはとにもかくにも列車を運転させた国鉄魂を見ている世代だけに非常に残念です。小田急にしても乗換口で運休の案内をする駅員は敵を迎え撃つみたいな姿勢で立ってました。国鉄ゲリラの時はたったの半日運休になってしまっただけなのに夕方涙を流して改札口でお客さんにお詫びをしていた助役さんの姿を忘れることができません。確かに30年前と比べサービスの質はものすごく上がっていると思います。しかし、「すべてはお客様のために」という、姿勢は逆に感じ取れなくなってしまいました。残念なことです。決して国鉄時代がよかったというわけではないけれど バスにしても、鉄道の穴を埋めようという意識が全くない。藤沢-長後間でしかわからないですが、神奈中は通常より少ない休日ダイヤで運行している。本来なら小田急が代替バスを出すべきなのですがね。藤沢駅のバスプールにはバスがいっぱい停まってましたよ。こういうときこそお得意の派遣を使うべきじゃないですか?経済復興にもつながるし これも小田急側からすれば東電の計画停電という大義名分、神奈中からすればガソリンの節約という大義名分をだしてくるのでしょう。協力してしかるべき非常時なのに各社の理論で押し通しているように思えて非常に不愉快です。 っていうか、“計画”停電なのだから、線路(電車線路も含めて)が壊れていなければ“計画して”何らかの交通手段を提供するのが公共企業としての社会的役割だと思うのですが。もちろん通常より大幅に間引くのは問題ないと考えますけれどね。 今は震災モードで誰も何も言わないし言ってはいけないような雰囲気も漂っていますが、2か月もの長きにわたって(冷房需要が増えればまたそれを言い訳にして長期化の懸念さえある。と、私は思っている)の停電に協力しろというからには、それなりのビジョンを示していかなければいけないのではないでしょうか。 震災や津波の被害にあわれた方にはお見舞いを申しますとしか言えないし、できうる限りの協力(義援金なども含めて)は惜しまないつもりです。でも、それ(震災)を言い訳にした怠慢には怒りさえ感じます。 必要最小限の機器以外すべてコンセントから抜いている寒くてもエアコンつけないで毛布にくるまっているという世帯も結構あるでしょう。 しかし、そんな協力など大口利用者がうまく生かしていってくれなければ灰燼に帰してしまうのではないでしょうか? 最後の+α 我が家の米びつはそろそろ底をつきそうな気配。今日、生協の宅配でやってくるはずだったお米は欠品のため配送できないとのことでした。 105時間寝なかったという枝野官房長官の買い占めはしないでくださいというメッセージは心に届かないのでしょうか?そもそも首都圏は生産地からとても近い地の利があるのでそんなに慌てなくてもいいはず。(地震もそんなにないところを見ると家康はうまいところを政治の中心にしたなと思いますよ) ガソリンス給油の列は生活道路にまで入ってくる始末でバスがとんでもないところで遅れるということも耳に入ってきます。 ワタシは車体感覚というものがないらしくとんでもなく運転が下手で、今の地に住んでいる限りは電車と配送サービスがあれば十分と思って暮らしてきましたが、それってやっぱり時代に合っていないんでしょうかね? ネットではあんなに暖かい言葉や行動が飛び交っているのに、一歩外へ出ればまるで店仕舞いをするかのような閑散とした陳列棚の並ぶ風景が展開しています。これはいったいどういうこと? ただ近くの農家では午後も遅い時間だというのにキャベツをいつもと同じ100円で分けてくださいました。お米も近所の米屋さんがみんなに行き渡るようにと2Kg売ってくださいました。独身の私はこれで十分です。 でも、お年寄りだけの世帯のことを考えるとちょっと身の毛がよだちます。 地震のあったまさにその日は動かなくなった電車に文句を言うこともなく整然と歩いて帰宅した人たち、その人たちのために営業を続けた店やトイレを貸したという民家。こんなにも優しくなれるのに、どうして、どうしてダメなんでしょう。 極限の状態にならなければ優しくなれないのですか? 官房長官の必死の訴えに応じた正直者は馬鹿を見なきゃいけないのでしょうか? で、いま買いだめしている人々は極限状態になったら余った分を放出するのでしょう。「あたりまえだから」としたり顔をして。 東電さん、公共的役割の大きい法人さん(現場が大変なのはわかっています)是非是非社会的役割を自覚してください。 何とも複雑な気分になった半日でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年03月18日 17時23分52秒
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