スーダンの首都ハルツームで、イスラム教預言者ムハンマドを侮辱したとされる米国のプロパガンダ映画に抗議する群衆約5,000名が、ドイツ大使館と英大使館を襲撃した。一部はドイツ大使館の敷地内に侵入、屋根から国旗を引きずり降ろし、代わりにイスラムを象徴する黒色の旗を掲げた。報道によると、同大使館は放火され、建物の一部で火の手が上がったという。
デモ隊はこの後、郊外の米国大使館に結集。現地からの報道では、デモ参加者1人が大使館近くで警察車両にはねられて死亡。また、群衆は米大使館の壁を乗り越えて敷地内に侵入、護衛が発砲したとの情報もあり、騒ぎが拡大する恐れがあるようだ。
報道によると、ハルツームで警官隊は催涙弾を使用し、デモ隊を解散させようと試みたが、一部が暴徒化した。ドイツ大使館では窓ガラスや家具が壊されたり、建物が放火されたりするなどの被害が出た。ドイツ外務省によると、館内にいる職員は無事。ところが英外務省は同国大使館がデモ隊の侵入を受けたかどうかは確認できないとしている。なぜ両国大使館が狙われたのかは不明だ。米国大使館と間違えたのか?これが真相のようだ。アラブ世界のアジアや北アフリカの各国でアメリカに対するデモやテロが激しくなるのだろう。
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今回は『ビルマ』の言葉集
★バー・モウ(初代首相)
真実のビルマ独立宣言は、一九四八年一月四日ではなく、一九四三年八月一日に行われたのであって、真実のビルマ解放者は、アトリー氏とその率いる労働党政府だけではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。
(尋牛亭日常の考え方より)
もともとビルマはアジアの"強国"だった。ビルマは、1824年にインドを支配していた英国に対してベンガル地方(パキスタンとインドの国境地帯)の割譲を要求して、真っ向から戦いを挑んでいる。当時七つの海を制していた世界最強の海軍国である大英帝国に、真っ向から堂々と戦いを挑んだのである。戦いはかろうじて英国の勝利に終わったが、ビルマはその後も独立を維持し続けたのである。アウンサン・スーチーの父、アウンサン大佐は日本に留学して軍事・作戦を学んで帰国している。
これに対し、英国はなんと30年がかりで陰謀と云う常套手段で、国内を混乱させ国を弱化させたうえで、1852年に第二次英ビ戦争を仕掛けて、ビルマを崩壊させているのである。その逆をビルマが英国内を混乱させることができたなら勝利したのである。
★ウ・ヌー(初代外務大臣・首相)
歴史は、まさに高い理想と目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民族の解放と福祉のためにのみ、生命と財産を犠牲にした例を一つくらい見るべきだ。
そして日本人は人類歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。(昭和二十三年八月一日のビルマ独立式典の演説より)
(尋牛亭日常の考えより)
このウ・ヌーのこの言葉は、たいへん重要な意味を持った言葉である。日本が世界に対して挑んだ戦い、それは人類史上初めて「抑圧された民族の解放と福祉のために」行われた戦争だった、ということだからである。「初めて」というのは、人類史上、他に類例がない、ということなのである。であるから、反日教育や欧米の陰謀が理解できていない亞呆な民度が低い民族に於いては、その重要性がわからないのである。
換言すれば、中・韓が反日侮日をするということは、要するに亞呆だということに他ならないと小生は考えるのである。
★コドマイン(ビルマ三十人志士・ビルマ独立義勇軍将校)の言葉
私の人生で今日ほど幸せだったことはない。わが国土から英国が追放され、偉大なアジア民族が馳せつけて他のアジア民族を解放してくれた。 我々に古代の遺産と国土と自由、宗教、文化を取り戻してくれた。私は死ぬ前に、この幸せな日を見ることができた喜びに泣いた。
人間としての尊厳を奪われ、ただ獣として使役されるだけとなった被植民地国のなかで、ビルマは比較的民族の独立を長く維持していた国だけに、そこに強烈な民族としての誇りが明確に残っていたわけである。だからこそ「泣いた」のである。なぜなら、そこに自国に対する「愛」があった。愛があるから泣けるた。私はそう思う。
★ボーバラ(ビルマ三十志士・ビルマ独立義勇軍将校)の言葉
私たちはボーモジョに感謝しなければなりません。
私たちビルマ人には、師という人には、常に尊敬の念を忘れないという精神があるので、(陸軍大尉・南機関の)泉谷さんなどの恩師には、いまでもひざまづき敬意をあらわすのです。
独立運動の最中、困難に直面したときは、お互い憎みたい気持ちも起こりました。
しかし、大きく眺めてみるならば、日本の人すべてに感謝しなければならない、というのが本当の気持ちですね。
【以下、尋牛亭日常の感想】
『戦いを残酷なことと否定するのは簡単である。けれど人としての尊厳を保つためには、戦わなければならないときもある。そして一緒になって戦ったからこそ、日本は尊敬もされ、感謝もされたのです。昨今の日本のように、金さえ出せば戦地に行かなくもいいなどという姿勢でいることは、それがどんなに多額の戦費であったとしても、世界から見下される。
なぜなら、いざというとき戦う気概のない者は、それが個人であれ、国家であれ『口先だけのエセ平和主義』でしかない。
我が子が殺されそうになったとき、獣でも昆虫でさえも、母親は身を挺して我が子を守ろうとします。戦おうとする。獣や昆虫でさえ、そうなのである。それすらもできないなら、その民族は虫や獣以下だということである。これは、憲法や戦争放棄や国軍を保持しないことはなどは、戦後日本の政治には、猛反省しなければならない部分であろうと思う』。これは、小生の本音の吐露である。わが国はGHQの『日本人骨抜き作戦』にやられた影響がいまも自虐的な歴史観にも残っているのである。
★ボー・イエトウ(ビルマ三十志士・ビルマ独立義勇軍将校)の言葉
ビルマが独立を得るために以前から長年、国民はいろいろな形で進めてきました。
特にビルマ独立義勇軍をはじめ、ビルマ防衛軍、ビルマ愛国軍、それぞれの兵士が国民とともに一丸となって戦ってきたのでビルマは独立が得られたのだ、と信じています。
それらに与えた大東亜戦争の効果とは、ビルマ独立義勇軍のために軍事訓練をしてくれた。教官自らも軍に加わった。武器をくれた。ボモージョ、鈴木大佐をはじめとする日本の教官たちがそのような協力をしてくれたことは実に意義深いことでありました。
このように大東亜戦争で日本はアジアの多くの国々に感謝されているのである。
最後に、エジプトナセル大統領の言葉を紹介したい。『アジアには日本がいた。アラブには日本がいない』この言葉は欧米、特に米国にモハンマドをイスラム教を侮辱され、侮られているアラブ諸国の現実がある。どの国が大東亜戦争の時の日本になって挑むのか、それともアラブ諸国の枢軸国なのか、これからを注視したい。(文責:尋牛亭日常) |
肝の据わった外交能力に文殊の知恵袋としてブレーンを数人側近にして自らのアイデアと攻められない様にする抑止力として、アジアのため絶対に核は保持する但識こそが現実的戦略なのである。よくよく現実国際世界(欧米世界)に眼を見開いて、大東亜戦争の教訓と経験と戦死した人々を無駄死ににしないようリーダシップのある類い稀な資質、明確な目的意識とアイデアを持った首相(大統領制にした方が国際社会に政治的アピールもよいのだが、いまの政治家たちは分かっていない)に期待したいと考えている。
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尖閣・竹島は日本固有の領土で、覇権主義の欧米がアジア人を植民地の奴隷として欧米の国益のために領土紛争を使うことは常套手段であり、その陰謀術数をアジア各国の為政者たちは、それを見抜くことである。その原因はプロパガンダにつけ入る隙を与えている朝日新聞や毎日新聞、赤旗、産業スパイに狙われている日経新聞等、NHKを筆頭にテレビ各局のメディアの責任も多大なのである。そこでスパイ関連の法規で重罰にする法律も必要になるのである。
気になるのは遅々として進捗していない福島汚染地区に特別区として復興することや宮城、山形の仮設は本設マンションに補助金をすばやく給付、民間の工場誘致、地元商業優先のモールなどを企画運営させることを各省庁の関係ないこじつけの予算執行はよくよく考えないと可笑しな結果になる。被災者救済、街のインフラと施設復興を急ぐことである。被災者にとって家と仕事がなければ生活の再建は無理。17兆円でそれができるようにすることと元は秦の始皇帝がとった戦略の『富国強兵』による強気の攻めの外交がこれからの政治の仕事である。
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