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カテゴリ:映画
先週、黒澤明の追悼企画で映画「生きる」をTVドラマ化していた。なかなかいい作品である。
突然ですが、皆さんの余命があと半年と言われたらどうします? ストーリーの主人公は、いきなり医者からそう告げられた、とある市のまじめ一筋の小役人。それまでは、「1時間の仕事を1日かけているような」役所生活を送っていた「みいら」。で、この主人公は、遊んでやろうと思うが、どうしたらいいか分からない。で、ひょんなことからであった遊び人を案内役に「一生分の快楽を一晩で味わう」べく夜の街をあちこち連れて行ってもらうが、どうも心楽しくない。 で、翌朝、辞表をだすつもりの、同じ職場の女の子とばったり会い、ゲーセンなどで一日遊んですごす。そこで、初めて楽しいと思い、その後もたびたび会う。が、もう最後にしようと言われた日に、主人公は、なぜそんなに彼女が生き生きしているのか、と問い詰める。彼女は戸惑いながらも、今は犬のぬいぐるみを作っている工場で働いていて、「こんなものでも、作っていると楽しい」と答える。 そこで、主人公は思いつく。最後に、住民が半年間陳情している、ごみの不法放棄場に公園を作ろう。 翌日、それまで数日間無断欠勤していた役所に現れるや、いきなり公園を作るべく運動をはじめ、役所にはありえないくらいスピーディーに主人公が命あるうちに公園が完成し、本人は公園で夜楽しく歌を歌っている最中に亡くなる。 で、お通夜で公園作りがいかに大変だったか、を元部下たちが、主人公を褒め称え、その功績を横取りした助役たちをこき下ろし、自分たちの小役人根性にやるせなさを嘆く。これが一番黒澤が描きたかったシーンだとは思うが、いかに、他部署の人たちが逃げているのを追い掛け回して無理やり引き受けさせたり、やめようといっている助役に向かって、公園を作れと迫ったり、外部のやくざめいた人々からの脅迫やシュプレヒコールもなんのその、人が変わったように公園作りプロジェクトをまい進させて行った市民課長の姿を尊敬してやまない、部下たち。が、それはそれで、何にもしてはいけないというのが所詮小役人の処世術であり、主人公のように動けない自分たちがいる。 だが、それでいいのか?彼らは自問する。主人公の猛烈な運動を目の当たりにした部下たちなだけに、主人公の姿がまぶしく映り、やればできる、とわかってしまった人々である。それでも、やっぱり実行するだけの勇気はない。そして翌日から今までと同じ仕事の仕方に戻る。 主人公にとり、唯一の救いは、住民たちが公園を作ったのは、助役たちが何といおうと主人公であり、沢山の子供たちがその公園で楽しく遊んでいることである。 確かに、小役人根性をあざ笑うのはたやすい。所詮、日本人がいう「和」、チームワークとは、他人が自分よりもいい業績を作らないよう互いに見張っていることでしかない。周りよりもできすぎてもいけないし、できなさすぎでもいけない。そして、本来の組織の目的などはどこかに忘れ去られるように、各自に無意味に忙しい仕事を与え、本人も無意味に忙しいふりをする。(民間でもかなりの割合で「3時間の仕事を一日の仕事にしている」と思うが) そうした心の不安、やるせなさを解消すべく、夜の赤提灯で管を巻いたり、定時でとっとと帰って自分の趣味に走ったり。 人生、80年。そんなに長いこと自分の思いを潰していたら、心だって病んじゃうだろうし、楽しくないじゃん。多分、そんな大人たちを見ているから、今の若者が社会に出ようという意思を失っているんだと思う。まあ、若者にも、じゃ社会を変えていこうという意識がでないのもまた、お粗末だといっておこう。 頭は帽子のためにあるんじゃない。もっと楽しい人生を送るためにどうしたらいいか、考えようよ、もっと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 14, 2007 02:22:11 AM
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