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我思う、ゆえに我あり

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yukie_yo

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October 7, 2007
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カテゴリ:雑考あれこれ
今日は久しぶりにおとなしく家で読書。

今日読んだ「戦後政財界三国志」は、政財界のつながりの戦後史というべき本である。非常に面白い。

戦後直後辺りは政界・財界の間にいい意味の緊張感があったようで、「電力の鬼・松永安左エ門」など気骨のある人が、時の首相(池田隼人など)を叱り飛ばせたし(こういう人は倫理的にも政界に何かしてもらおうと思って接近しているわけではない人たちがいたのでできた芸当だが)、財界の統一見解だといって鳩山首相に辞任要求を突きつけたり、今の感覚ではありえないようなことをしている。その分、大局的に物をみていたし、スポンサーになるにしても、受け取る側にも渡す側にもそれなりのモラルがあったようだ。

が、それが自民党の安定政権ができあがるにつれ、岸信介が築いた繁栄のレールが敷かれてから誰が首相になっても同じ、といわれるような時代になるにつれ、財界の側にもサラリーマンから順当に昇進してなった社長が増えるようになるし、政界にも世襲議員が増えていくし、だんだん個性の強い人たちが消えて、政界にも財界にもリーダーたちが「小粒」化していっていく。その結果、だんだん保身に走り、馴れ合いになり、昔あったような緊張感は既にない。

そのため昨今、政界でスキャンダルがあっても財界がしっかり叱れないし、政治が行政改革だといっても、財界でコンビを組めるようなリーダーがいない。例えば、中曽根首相の行革と言っていた頃は、「めざしの土光」さんががんばっていたのに、小泉首相の改革では、土光さんに匹敵する人は今はなく、財界総理といわれる経団連会長経験者の今井さんにしてもいかにも旧態依然の権益代表者のように思われ、結局金融面の改革を進めるといったときもコンサルタントなどの改革支持者の意見をまとめえず、統一見解を提出できずに物別れに終わった。

そんな歴史を読んでいると、さすが明治のはじめに教育を受けた人は違うなあと思う反面、「経済は一流、政治は三流」は本当か?と首を傾げたくもなる。何だかどっちもどっちじゃん?

ちなみに、財界人と経済人の違いは、自社繁栄の短期的利益のみを追求せずに国家レベル、グローバルレベル(?)にまで大局的に物をみて動くか否かだそうだ。そういう意味では、財界人は確かに絶滅の危機に瀕している。

これを世代のせいにすべきかは、疑問である。そりゃ、確かに昔はよかった、今は教育が悪いというのは簡単だ。でも、それじゃ、問題解決につながらないし、時計は昔に戻すものではない。

小泉前首相がいった言葉に「民間でできることは民間で」というのがある。多分松永などに言ったら、当たり前じゃ!くらいの言葉がとびでてきそうだ。だが、この言葉さえ、政界と癒着している、今の財界を警戒させてしまう。

だが、既に30兆円の赤字国債を抱えている日本政府に大きな政府を求めるのは無理があるし、民間としては政府がやっていたことを民間に開放するということは、本来ビジネスチャンスのはずである。30兆円の赤字国債をだらだらと拵えさせた政府も政府、国会も国会、国民も国民だが、政界にもっとも影響のある財界も財界だ。それなりの痛みは払う覚悟があるべきだと思うし、それを説得するのも、財界総理をはじめリーダーの仕事である。それができないならば、政治にリーダーシップをなどという前に他山の石として反省すべきだと思う。

こうした考えに至るためには、まずはお上依存症を治すところから始めるべきではなろうか?そりゃ、昔は輸出するために必要な資金や資源を握っていた官僚とうまくやる必要はあった。が、もう産業の旗振り役を果たすための経済発展モデルがすでに存在しない現在、政府は不正チェック機能を中心とした方向にシフトすべきときにきており、かつてのように産業をコントロールするような能力は今となってはむしろ弊害である。





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Last updated  October 8, 2007 12:39:04 AM
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