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我思う、ゆえに我あり

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yukie_yo

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November 25, 2007
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カテゴリ:雑考あれこれ
陸軍中野学校といわれて、ピンと来られる方は多いだろうか?旧日本陸軍のスパイ学校である。その名が世に出るのは、大分昔に市川雷蔵主演で「陸軍中野学校」という映画があるくらいではなかろうか。

一般的にスパイというと、007みたいなものを想像しがちだが、諜報活動はそんな派手なものではあまりない。むしろ、現地に何年もいて地道に情報を流したり、デマをとばしたり、いろいろある。

100%その業務内容が暴露したら殺されるだろうが、敗戦によって使命を100%打ち切られた旧日本軍の場合なら、その業務内容は暴露しても殺されるようなことはない。が、おおっぴらにいうべき性質のものでもないので、著者は苦労したようだ。

文字通り足を棒にして1人の人に会いに行って話を聞きにいく。一度で話してくれるならいいものの、話してくれなければ何度も通って、他の人の名前を教えてもらって、と大変な取材の総決算というべきものである。

その甲斐あって、非常に面白い。そしてまた「昭和」のにおいがする。

面白いことに、中野学校のモットーは「誠」である。戦争中などは特に人はなかなか信用できない。そんな中本来敵であるはずの日本の味方になってもらうべく、現地民を「教育」したりする必要がある。そういう場合、ついてきてもらうには誠意以外にはない。

その教育の甲斐あって、南方の島々で原住民(山々に住んでいる少数民族など)を自由自在に操って敵軍を悩ませた。

多分、その原点にあるのは、日露戦争時代の明石の経験だろう。彼は日露戦争中(前?)からポーランドやその周辺のロシア帝国に潜入し、ロシアに虐げられている弱小民族に独立を促し、資金や武器を与えたりして、ロシアを背後から脅かすことに成功。そのときも、明石は心から誠心誠意を以って彼らの独立運動を支援した。

が、日露戦争が終わるや、逆に彼らを支援するわけには行かず、明石に帰国命令が下る。いかんともしがたく、一旦は日本に帰るものの、確かまたすぐにその辺りに舞い戻って独立運動に参加したはず。

最初のうちは、精神を中心に学び、技術はさほどでもなかったらしいが、戦争が長期化していくにつれ、そんな悠長なことは言われなくなり、技術中心に移行して行ったようだ。(それでも、陸軍そのものよりは個々の精神を尊んでいただろうが。。。)

日本で終戦を迎えた人たちの中には、占領軍が皇室廃止を実行した場合を想定して、北白川宮を新潟にかくまったり、日本軍に協力したタイ首相、バー・モウを日本でかくまうべくこれまた新潟に隠し、生活費を捻出すべく会社を設立したりと、珍しい話もでてくる。(モウに関しては、途中まではがんばったものの、GHQの追及にまけ出頭を外務省に説得され、あきらめて出頭した)

沖縄の小島に前々から潜伏していた人たちは、ほとんど唯一の男手として戦後直後のどさくさからみんなを守ったり、女子挺身隊のようなものを組織して若い女の子を指揮って破損した家屋を修理したり、家財の運搬を手伝ったりして、みんなが最低限の生活を送れるのを確認してから本州に引き上げたり、「誠」の精神に頭が下がる思いがする。

また、あまりに「誠」を貫いているがために、かわいそうな場面もある。南方の島々に送られた人たちの中で、残留を命じられた人たちがいる。彼らはその島がアメリカの手に落ちても、引き続きジャングルだか山の中に潜んでいつか日本軍の奪回に備えて待機するのだ。

戦後直後、日本は降伏したから日本に帰るべしという情報を信用して帰った人たちはまだいい。が、その情報が信用ならないとますます自分の任務への忠節を強くして潜伏を続けた人もいる。こういう人が、20年、30年たって日本の敗戦を知らなかったといって、フィリピンだかの孤島からひょっこりでてくる。(なかには中野学校ではない人もいるようだが)

こうなると、潜伏活動をしているだけでも頭が下がるのに、戦後何十年もしているのでは、さぞかしつらかろう。

しかも、腹立たしいのは日本の家族、戦友たちからの願いが国民の間で広く取り沙汰されて厚生省が重い腰をあげ、捜索活動を行ったのだが、その方法たるや、専門家に事前に話を聞いたりしてやってはいけないと全員から言われたような、ヘリからビラをばらまいたり、いそうだと思われる地域に出かけていってスピーカーで呼びかける等の方法をとり、成果よりも「国民の皆様のためにがんばっています」というパフォーマンスをしたいだけというのが見え見え、という件。(潜伏している人は、そういう大掛かりなことをすると、ますます胡散臭く思い、信用されなくなってしまう)

たまたま、その人の場合、幸いにも、その山に分け入っていた日本青年と接触して納得して出てきたようだ。

著者の言うとおり、その人は最後まで職務を放棄せず、国民的英雄として取り扱ってしかるべきなのに、遺族に対していい事を言って当選したような国会議員を含め国会議員は1人も出迎えにやってこないことに、憤りを感じる。

確かに戦争をすれば、国民の命や人生を犠牲にせざるをえない。が、それだけに、終わればその尊い犠牲に対し、最大限の謝意と尊敬が与えられるべきである。にもかかわらず、そんな犠牲に対して見たくもない、知りたくもない、といいたげな態度は、まず改めるべきだと思う。

年金スキャンダルだ、守屋スキャンダルだ、と腐敗や欺瞞が新聞をにぎわし、「誠」という言葉が時代遅れの錆びたにおいのする今日なだけに、彼らが行った誠心誠意が限りなく貴重で、心が痛む思いがする。





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Last updated  November 25, 2007 05:48:52 PM
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