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我思う、ゆえに我あり

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yukie_yo

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May 8, 2009
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カテゴリ:映画
最近クラシック映画をみてしまいがち。時間ないのに。

で、昨日は「真昼の決闘」をみてました。最初はグレース・ケリーが見たくて。

西部の保安官がやめて結婚して町を出て行こうとしたときに、逮捕したのに釈放されてしまった、ならず者が復讐しに町に帰ってくる、といううわさが飛ぶ。で、町の人々は震え上がって、誰も保安官に協力しようという人がでてこない。それでも責任感から、保安官は新妻をふりきってならず者4人と単身戦うことになる。

最後には新妻の協力もあって、無事全員射殺し、誰も自分の町を守ろうとしなかった人々につくづく愛想が尽きて、保安官のバッジを地べたに捨てて、新妻と町を去っていく。

戦いそのもの(これは案外ちゃちい)よりも、この映画が描きたかったのは、困難に直面したときの、困惑・恐怖・無抵抗・無関心な人々の姿、責任感・信念とは何か、正義か暴力反対か、といった問いを投げかけている。

戦いよりも戦い前の緊張感が実によく描けている、と思う。

自助努力しないばかりか、町をでていけばいいのに、とか町の人はいう。まあ、確かに自分たちで立ち上がらないで、自分を邪険にする人たちのために、なぜ命の危険を冒してまで、守ろうとする?この問いは尤もだ。

でも、保安官だから、という使命感。けじめをつける、という感覚。プロ意識、こだわりといえばいいのか。

その一方で、新妻は家族を銃で撃たれているので、暴力そのものが、無意味に思えてならない。

そんな使命感など、プロ意識など、捨ててしまえ、何の意味がある?生きる道を模索する方がなんぼ意味のあることか。

けれど、最後は夫を助けるために、銃でならず者を撃つ。

で、ここでは、プロ意識というか、使命感にこだわりたい。なぜって、今じゃ、珍しくなってしまった、ようなものだから。

かなり世知辛い世の中になったから、お金ではない、自分のプライドにかける手間暇、情熱、こだわり。

そんなこと考えなくても、適当にサラリーマンやって適当に給料をもらえればそれでいい。暇があったら、株でも買うか、財テクの勉強でもするか?

そうして楽して生きようというのが、横行している。

ある意味、正しいと思うが、それだけ、というのも、面白くないというか、つまらない。

多分、そこがいまどきの若者が言う、何の仕事をしたらいいか分からない、の原因の一部なんだと思う。まあ、サラリーマンの親たちの背中をみて、つまんなさそう、と思うんだろうね。

最高なのは、趣味と実益が伴えばいいんだが。なかなかそう世の中はあまくない。

趣味を仕事にすると、かなり最初の頃は貧乏になっちゃうとか、実入りのいい仕事は深夜まで働かざるを得ない。かつ、意味のある仕事かもわからない。

で、どっちもいやだになって、何にもしない。

その対極にあるのが、職人気質というか、こだわり。お金では買えない、自分の仕事のできばえに酔いしれる、贅沢。

それは、もうのめりこむ以外にない。中途半端じゃできない。

だから、人々は賞賛する。

そうして、今じゃますます希少価値だ。

どんどんつまらない世の中になっていっちゃうよ。





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Last updated  May 8, 2009 03:39:15 PM
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