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我思う、ゆえに我あり

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yukie_yo

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December 26, 2009
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カテゴリ:時事
さて、今日は昨日延期した話題について。さっき途中まで書いていたのが、消えてしまったので、非常にやる気が削げています。。。ので、荒い書き方になってしまうかもしれませんが、御了承ください。

日中共同で歴史研究をしていたのが、戦後の話も議論していたのに、中国の要請でその部分の公表を差し控えて終わりにする、というものだ。

これ以上の詳しいことはよく分からないので、この情報を基にすれば、何やってんの、日本側は?戦後をやらないでどうするよ?

そもそも、この研究は、小泉の靖国参詣で日中関係が悪化したことから端を発している。政府が有識者に面倒かつ世論がカッカしている問題について研究するように、とふるときは、大概政府としては何かアクションをとっているという形をとりつつ、世論の熱を冷めるまで、ほとぼりが冷めるまで放っておこう、という考えから起きる。

ので、この共同研究は、日中関係向上を意図した、政治的な研究である。ので、日中関係の向上に資する結論を出さねばならない。

にもかかわらず、戦後をのせないとなると、日本は中国に侵略戦争をしました、で日本が悪い奴です、で終わっちゃうじゃん。

が、戦後はそんな単純な話ではない。

戦後すぐに、日中貿易を再開しようという動きはあったし、実際アメリカが冷戦を始めるまではぼちぼち始まっていたし、冷戦に突入してもアメリカがガンつけない範囲でLT貿易などをしていた。また、北京に西園寺公望の孫、公一が住み着いて、彼などが中心になって日本とのパイプの役割を演じ、大勢の日本留学組の中国人エリートと共に、日中関係を支えていく。その中で、中国残留孤児、遺骨移送問題などが解決されていく。

また、ニクソンショックで国家元首の訪中という観点では遅れをとったものの、翌年田中角栄が北京に飛んで平和条約を結ぶ。西側陣営で中国と友好条約を結んだのは、日本が初めてという快挙を成し遂げる。

そして、中国が賠償金を放棄し、日本がそのお返しに多額のODAを中国に注ぎ込む。また、ODAを通じて日中間の政治家が関係を結んでいった。また、天安門事件後最初に中国を国際社会に復帰させる導火線に火をつけたのは日本である。

さらに、とう小平が日本に来て、高度経済成長と一党独裁体制は両立するということを体感し、高度経済成長時代に突入していく。そのけん引役は、外資の直接投資であり、日本企業も中国に投資していき、切り離せないくらい密接な経済関係が構築されていく。

ので、これこのように、ここまで書くから、戦前は確かに戦争という最悪の局面を迎えたが、着実に歩み寄りを続けていったし、さらにこれを続けていこうという結論がでて、初めてそもそもの政治目的を達成する。

いわば、戦前と戦後はパッケージ。それなのに、ばら売りしてどうするよ?





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Last updated  December 27, 2009 01:53:13 AM
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