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我思う、ゆえに我あり

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yukie_yo

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February 19, 2010
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カテゴリ:仕事
今日、ジョージ・パッカード著「ライシャワーの昭和史」を読み終えました。いやー、非常に興味深い本です。いろいろ、思考を刺激される、いい本です。

前に感想文を書いた、豊田さんの密約本と合わせて読むともっといいと思われます。それほど、この本は密約に密着しているわけじゃないですが。

この本をライシャワーの本格的伝記と呼んでいいのか、正直悩みます。それほどに、ライシャワーの元側近として、その後は友人として脇でライシャワーを見ていた人間として、ライシャワーが本当はどう思っていたのか、何を大事と思って行動し、発言していたのか、を知っている人間は自分より他ない、というゆるぎない信念の下に、ライシャワーという日米関係の中では巨人である、ライシャワーを評価してやろうという想いが伝わり、その評価にほぼ2章割かれているといっていいから。

ライシャワー大使時代を側近として脇で見ていたがために、本音はベトナム戦争は反対と思っていたくせに、政府内の人間だから、日米関係を改善するのに自らが今までやってきたことを放擲したくないというエゴというには博愛的すぎる信念のために、公ではベトナム戦争を支持し続けたのが、許せなかったのだろう。この点の批判はライシャワーの人生の最大の間違いと手厳しい。

けれど、手加減が感じられるのは、この過ちの最大の皮肉は、ベトナム戦争に関する意見をライシャワーは政策決定サークルから求められていなかった、それ相応の待遇を受けていなかったということ。なのに、自制する必要はどこにあったんだい?と著者は、書きながら、ライシャワーに問いかけていることだろうに、そこまでの追い討ちはしていない。

さて、ライシャワー大使は、日本でもよく知られているが、何が功績?というと、案外答えられないのではないだろうか?日本で最も親しまれたアメリカ大使というイメージ以外には。

この本を読めば、ところがどっこい、大使時代に、沖縄返還を政府高官に説得しまくっていたり、岩国に核貯蔵が日本への事前協議なしで行っていたのを知るや、怒り心頭で、とっとと撤去しないと辞めて公表してやる!とどやしつけ、ボスのラスクをおろおろさせたり、ケネディ大統領を日本に呼び寄せるべく努力を重ねていたり(暗殺されなければ、暗殺の翌年には訪日の予定だった)、日米間で政府間の対話を機構化したり、それはそれは八面六臂の活躍ぶり。

それなのに、ライシャワー刺傷事件がおきる。ここで、日本人の輸血を受けて、C型肝炎の血まで輸血されて、その後はずっと後遺症で悩まされることになる。そのときは公表されなかったが、生と死の狭間をさまようことになる。公表されたら、日本は大変な大騒ぎになっていただろうから、賢明な処置といえばそうだけど、見えない努力を強いらされた点で何ともかわいそうである。

そこで、何がすごいって、その生死の狭間をさまよっていたときに、熱にうなされてずっとしゃべり通しだったというライシャワーも信じられないが、その言ってたことは、仕事の話も含まれていたようで、一言も公でいっていたことと矛盾していない、というエピソードだ。

ライシャワーの執念ともいうべき、日米関係への熱い想いが感じられる。

しかし、意外や意外、ライシャワーともあろう人が、貿易摩擦についてあまり興味を示していない。もちろん、大使時代から、次から次へと貿易摩擦は起きていて、その対応に追われていたのに。そりゃ、なんちゃら布地のなんちゃら幅の繊維は関税をいくらにするんだ?という話にまったく興味がないのは分かる。私もそんなの、飽きちゃうもん。

けど、日本経済が高度成長していくにつれ、貿易摩擦はひどくなる一方だった。各項目に興味がなくても、摩擦が日米関係に悪影響を及ぼさないように、何らかの組織的な対応ができるようになぜすべきだと思わなかったのだろう?そして、摩擦が激しくなるにつれ、なぜ対応策を提唱しなかったのだろう?

ライシャワーの晩年の80年代後半、いわゆる、リビジョニストたちによる、執拗かつ悪質な日本たたきがアメリカのメディアで一大ブームになる。もともと、人と争いごとをしたがらない性格によるものなのか、最初ははしかみたいなもんだろ?くらいに軽く見ていたらしい。

けれど、だんだん深刻さを増すと、反論するようになる。笑えるのは、ウォルフレンとの未公開議論。ライシャワーは最初っからこのわけの分からん輩をぶっつぶすつもりでいたらしく、大激論の末、ウォルフレンが議論の公表を拒否するという事態にまで発展した。

もっと早くから反論しとけばよかったのに。それよりか、ライシャワーの弟子たち、もっとしっかりしろよ!と思っていたのか。ベトナム戦争ではあれほどに自分にたてついていたのに。

そう、ライシャワーは、大使を辞めてからハーヴァード大学教授に戻るときに、すでに、自らの居場所が分からなくなっていた。

それは、東京に5年もいれば、アメリカがあまりに遠く感じるから、BOJ(日本生まれ)のライシャワーとしてはもともと苦労してアメリカン・アイデンティティを作った人なだけに、なおさらアメリカなるもの、感覚が分からなくなったのではなかろうか。(私も日本にちょっと長くいるだけで、ネットもあるし、飛行時間も短くなっているであろうに、ワシントンが遠いなーと思うから、当時はなおさらだろう)

そのために、ベトナム戦争支持がいいやすかったのだろうし、一般市民がベトナム戦争反対という思いの強さが理解できなかったのではなかろうか。

結果、古巣に帰ってみれば、まさに自分がつっつてほしくない、まさにその場所に集中砲火を受けることになる。そして、それはジョンソン大統領が再選不出馬を表明し、ライシャワーがベトナム戦争反対を表明するに至るまで続くことになる。

そうはいっても、この巨人がかいた著作、特に「ザ・ジャパニーズ」は日本理解のための珠玉の本だというが、その名声を築いたがために、この伝説を打ち破るべく、若き挑戦者たちの果たし状をいくつも受けることになる。果たし状の数はそのまま日本専門家志望者たちがライシャワーを頂点だと思っている証拠といっていいのかもしれない。

そして、この構図は、未だに厳然としてある、という。

リビジョニストたちは、除外としても、E.ノーマンとの論争は興味深い。が、そろそろ寝ないと熱がまた出てきそうなので、今日はここまで。





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Last updated  February 19, 2010 02:25:50 PM
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