|
カテゴリ:できのよくない思い込みレポート
幸いにしてすでに記録の消失してしまった帝紀・旧辞は 一介の舎人とねり稗田阿礼ひえだのあれがそらんじていました。 ただの舎人が・・・・です。とっても不思議なことだと思います。 太安万侶の古事記序文を言葉通りに信じるとすれば 古事記作成は天武天皇が勅語みことのりをもって阿礼を召し 彼の暗誦していた帝紀・旧辞を帝が修正し さらに修正の加えられた帝紀・旧辞をふたたび阿礼が暗記していく こんなに複雑な方法で行われていきました。 古事記が推古天皇の条で終わってしまっているのは 天武天皇が病を発し ふたりの「帝紀・旧辞修正版」の暗記暗誦作業が中止せざるを得なくなってしまったためです。 685年9月24日のことでした。 それっきり稗田阿礼という一舎人の存在は忘れ去られてしまいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月11日 00時52分27秒
[できのよくない思い込みレポート] カテゴリの最新記事
|