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カテゴリ:できのよくない思い込みレポート
太安万侶はその翌年和銅5年712年正月28日 稗田阿礼のそらんじる帝紀・旧辞・・・天武天皇の修正が加えられた内容です・・・を「古事記」三巻にまとめ元明天皇に献上しました。 わずかに四ヶ月のスピード作業です。 この時点で阿礼は59歳。 語り部としての並みならない暗誦力は、まさに鬼才としか言いようがありません。 しかし阿礼の残した功績については、彼がどのような叙勲を受けたかなどを語るモノは何も伝えられてはいません。 彼に関しての記録はただひとつ 太安万侶が古事記の序文に書いた下記の数行に過ぎません。 時に舎人あり。姓は稗田、名は阿礼、年はこれ二十八。人となり聡明にして、目に渡れば口に誦み(よみ)、耳にふるれば心にしるす。すなわち阿礼に勅語り(みことのり)して、帝王の日継(ひつぎ)および先代の旧辞を誦み習わしめ給いき。 思うに 古事記撰上とともに稗田阿礼はふたたび用済みとなって なんの顕彰もされることもなく放り出されたのではないか。 わずか28歳の舎人阿礼は本当に帝紀・旧辞を暗誦している天才だったのか。 たくさんの群臣があるなかでどうして稗田阿礼だけがそれを諳んじていたのか。 天武天皇と稗田阿礼による古事記誦習作業そのものに疑問を持たずにいいのか。 なんて・・・・ **** 例によって回りくどい長い前振りばかりです。 菅原道真を語ろうとしていたわけです。 その前に彼の先祖野見宿禰のことを書くための準備が長引いているわけです。 道真は天皇陵に生き埋めにされる一族の末裔だったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月15日 01時39分27秒
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