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カテゴリ:できのよくない思い込みレポート
もう一方で 天武天皇の詔によって古事記と同時作業で発足した日本書紀の方は、太安万侶の古事記撰上から八年後の養老4年720年5月21日完成しました。紀30巻・系図一巻が元正天皇に撰進されました。六国史の筆頭に挙げられる「官撰」の国史第一号となりました。 この経緯からふたつの書物は「記紀」とセットで呼ばれてはいるものの、現存する最古の文書である古事記は日本書紀と同等の扱いを受けてきたとは言えません。つまり現存する我が国最古の官撰国史は日本書紀であり、その範疇に決して含まれることのない古事記は最古の「文芸書」ということになります。 そんなお遊びであるのなら どうして天武天皇は記紀の編纂を同時進行させたのか。下級の官僚にすぎない一舎人の稗田阿礼を四年間も拘束して、身分的に考えてもあり得ない一対一の密室作業を行ったのか。しかもひとりの史生(下級の書記・記録係)を置かないで、です。文字を使うことを拒否して稗田阿礼の頭の中に保存させるという奇妙な形を取ったのか。 古事記は面白い成立をしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月17日 00時47分23秒
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