カテゴリ:言語学
中日新聞に連載中の「現代日本誤百科」(町田健氏著)批判の22回目である。今回は、「戦慄の事件」という表現に関する町田氏の見解を見ていこう。
町田氏はこの表現について「非常に恐ろしい事件だという意味なのは分かる」としたうえで、「「戦慄」は、恐ろしくて身体が震えるという人間の動作を表す。日本語では動作を表す名詞の後に「の」を付け、動作に関わる性質をもっていることを表すのは不可能だ」と主張する。その例として「心配の出来事」や「恐れの言葉」を挙げた後、「「人を恐れさせる」という意味で「戦慄の」を使うことはできない」から、「ここも「戦慄させる事件」とするのが正しい」と結論する。 この論理からすれば「恐怖の体験」や「心配の気持ち」という普通の表現もおかしいことになる。また、「動作を表す名詞」という表現も意味不明である。〈名詞〉は実体概念を表している。ここでは「運動史変化する属性を実体として把握し表現した名詞」と「するのが正しい」。 どこから「日本語では動作を表す名詞の後に「の」を付け、動作に関わる性質をもっていることを表すのは不可能だ」などという小難しい理屈が出てくるのか。町田氏は日本語の言語規範を自身で作り上げた神なのか。 冒頭に町田氏も述べているように、「戦慄の事件」は「非常に恐ろしい事件だという意味なのは分かる」のである。「の」には様々な意味が表現されうるのであって、「戦慄させる」という意味で「戦慄の」という表現を選択したからといって、妙な言語規範をでっち上げて誤りだとするの方が、よっぽど誤りである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年12月05日 16時31分17秒
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