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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2013年12月05日
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カテゴリ:言語学
 中日新聞に連載中の「現代日本誤百科」(町田健氏著)批判の22回目である。今回は、「戦慄の事件」という表現に関する町田氏の見解を見ていこう。

 町田氏はこの表現について「非常に恐ろしい事件だという意味なのは分かる」としたうえで、「「戦慄」は、恐ろしくて身体が震えるという人間の動作を表す。日本語では動作を表す名詞の後に「の」を付け、動作に関わる性質をもっていることを表すのは不可能だ」と主張する。その例として「心配の出来事」や「恐れの言葉」を挙げた後、「「人を恐れさせる」という意味で「戦慄の」を使うことはできない」から、「ここも「戦慄させる事件」とするのが正しい」と結論する。

 この論理からすれば「恐怖の体験」や「心配の気持ち」という普通の表現もおかしいことになる。また、「動作を表す名詞」という表現も意味不明である。〈名詞〉は実体概念を表している。ここでは「運動史変化する属性を実体として把握し表現した名詞」と「するのが正しい」。

 どこから「日本語では動作を表す名詞の後に「の」を付け、動作に関わる性質をもっていることを表すのは不可能だ」などという小難しい理屈が出てくるのか。町田氏は日本語の言語規範を自身で作り上げた神なのか。

 冒頭に町田氏も述べているように、「戦慄の事件」は「非常に恐ろしい事件だという意味なのは分かる」のである。「の」には様々な意味が表現されうるのであって、「戦慄させる」という意味で「戦慄の」という表現を選択したからといって、妙な言語規範をでっち上げて誤りだとするの方が、よっぽど誤りである。





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最終更新日  2013年12月05日 16時31分17秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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