カテゴリ:言語学
中日新聞に連載中の町田健氏「現代日本誤百科」批判の23回目である。今回は、「将来は真っ暗闇/深淵」という表現に関する町田氏の見解を見ていく。
町田氏は「「真っ暗闇」は、何も見えない空間のこと」だとし、「「将来」は未来に起きる事柄なのに「暗闇」は場所なのだから、性質が非常に違う」から、「「将来」を「暗闇」に例えることは難しい」という。そして「「事柄は場所だ」という形の比喩的表現が使われることはない」から「「将来は真っ暗だ」と言うのがよい」と結論する。 まず、「将来」を「事柄」としたり、「暗闇」を「場所」だとしたりすることがよく分からない。コトバンクでは「将来」は「これから先。未来。前途。」等の意味があり、未来のあり方を漠然と実体的に捉えて表現したものである。「暗闇」は「まったく光がなく、暗いこと。また、その所。くらがり。」という意味で、場所に限定されていない。秘密保護法を強行採決した国会を「国会は暗闇に包まれた。」と表現した時、この「暗闇」は「場所」ではないのであって、「国会は奈良県に包まれた。」などと同種の表現ではないのは明らかである。 それに「事柄は場所だ」などという定式化も形而上学的である。こんな定式で、人間の認識の表現である言語を「使われることはない」などと断じるのは、表現の何たるかを全く理解していない証拠である。 題名にある「/深淵」という部分もよく分からない。「事柄は場所だ」のまちがった例として「新しい事業は深淵だ」という例を挙げているが、題名とのつながりは理解できない。ただ、文章の最後の「「将来は真っ暗だ」と言うのがよい」の「よい」は今までの論調より若干弱い表現であることは評価できる。「言うべきだ」ではなく「言うのがよい」という少し低姿勢に出ているのである。批判が殺到しているためだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年12月10日 20時56分21秒
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