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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2013年12月10日
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カテゴリ:言語学
 中日新聞に連載中の町田健氏「現代日本誤百科」批判の23回目である。今回は、「将来は真っ暗闇/深淵」という表現に関する町田氏の見解を見ていく。

 町田氏は「「真っ暗闇」は、何も見えない空間のこと」だとし、「「将来」は未来に起きる事柄なのに「暗闇」は場所なのだから、性質が非常に違う」から、「「将来」を「暗闇」に例えることは難しい」という。そして「「事柄は場所だ」という形の比喩的表現が使われることはない」から「「将来は真っ暗だ」と言うのがよい」と結論する。

 まず、「将来」を「事柄」としたり、「暗闇」を「場所」だとしたりすることがよく分からない。コトバンクでは「将来」は「これから先。未来。前途。」等の意味があり、未来のあり方を漠然と実体的に捉えて表現したものである。「暗闇」は「まったく光がなく、暗いこと。また、その所。くらがり。」という意味で、場所に限定されていない。秘密保護法を強行採決した国会を「国会は暗闇に包まれた。」と表現した時、この「暗闇」は「場所」ではないのであって、「国会は奈良県に包まれた。」などと同種の表現ではないのは明らかである。

 それに「事柄は場所だ」などという定式化も形而上学的である。こんな定式で、人間の認識の表現である言語を「使われることはない」などと断じるのは、表現の何たるかを全く理解していない証拠である。

 題名にある「/深淵」という部分もよく分からない。「事柄は場所だ」のまちがった例として「新しい事業は深淵だ」という例を挙げているが、題名とのつながりは理解できない。ただ、文章の最後の「「将来は真っ暗だ」と言うのがよい」の「よい」は今までの論調より若干弱い表現であることは評価できる。「言うべきだ」ではなく「言うのがよい」という少し低姿勢に出ているのである。批判が殺到しているためだろう。





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最終更新日  2013年12月10日 20時56分21秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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