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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2013年12月19日
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カテゴリ:言語学
 中日新聞に連載中の町田健氏「現代日本誤百科」批判の29回目である。今回は「超品質」という表現についてみてみよう。

 町田氏はこの表現について「これまでとは異なる優れた特徴を持つ製品、という意味を表すのだろう」としたうえで、「超」の意味を解説する。すなわち「程度が甚だしい」あるいは「範囲を超えたもの」という意味であるとし、「「超品質」は性質の範囲を超えたものということになろうが、それがいったい何なのか不明だ」という。そして「品質が非常に良いのなら「超高品質」と言うべきだし、全く異なる製品なら「超製品」とすべきだ」と結論する。

 素直に町田氏の論理に従っても、「超品質」は品質が特別優れていることを実体的に把握した表現だと推測できる。町田氏のように「製品、という意味」だと理解できるから何ら問題がない。町田氏の言う「超製品」と言う方が違和感があろう。

 そしてまたもや「言うべきだ」や「すべきだ」という人の表現を歪める発言である。規範に基づく表現であるから、一定の範囲内では「言うべきだ」と言えるが、そもそもの表現の本質を捉えるならば、表現者の認識の物質化であるから、これをどうこう言う前にきちんと理解しようと「すべきだ」。

 言語規範を言語と考え、言語は表現とは違うものだと考えるからこういう的外れな批判になるのである。町田氏はピカソの表現である絵画について、色彩や形を現実のあるがままに忠実に再現「すべきだ」と言うのであろうか。





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最終更新日  2013年12月19日 21時11分04秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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