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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2014年03月02日
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カテゴリ:学び方・振り返り
〈目次〉

(1)2014年2月の目標を再確認し、2014年2月は何を学び何が課題として残ったのか振り返る
(2)小論執筆における学び
(3)三浦言語学への学び
(4)一般教養、弁証法、認識論の学びを実践した
(5)2014年2月の学びを概括する


---------------

(1)2014年2月の目標を再確認し、2014年2月は何を学び何が課題として残ったのか振り返る

 本稿は学問化可能な認識を創出することで、私の人生の目的である言語学構築へと進むプロセスの一環として、毎月の学びを振り返ることを目的とした小論である。

 言語学構築に向けての私自身の武器として、一般のいわゆる「言語学者」、大学等で研究している者にない独自の武器として、弁証法、認識論を自らの頭脳に構築するという過程が必要であることの把握がある。弁証法と直接に言語学を学び、自らの頭脳を学問化可能なものとするためにこそ認識論を学び、その土台としての一般教養の学びがあるのである。

 こうした観点を踏まえて2014年2月の学びの目標を確認しておくと、まず『学城』第10号感想小論を完成させ、「現代の言語道具説批判」の第1稿を執筆すること、次に三浦つとむさんの言語理論に学ぶとして、『認識と言語の理論』第1部を読み進めていくこと、最後に一般教養、弁証法、認識論の学びを実践することであった。

 以下、それぞれの学びの過程を振り返ることで、何を学び何が課題として残ったのかを具体的に見ていきたい。





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最終更新日  2014年03月03日 21時54分38秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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