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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2014年03月02日
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カテゴリ:学び方・振り返り
(2)小論執筆における学び

 前回は、言語学と弁証法、認識論、一般教養との関係を簡単に述べ、この観点で学びを行っていった2014年2月の目標を3つ確認した。

 さて今回は、2月の最初の目標である、小論執筆の学びについて振り返っていきたい。

 『学城』第10号感想小論の第1稿に対しては、『学城』第10号の全体を貫くテーマとして「指導統括」ということがある、ということが分かりにくい、という指摘が相次いだ。そこで、全体の構成の中に「指導統括」の構造を逐次追加し、また、第1回にその二重性として、組織における指導者による「指導統括」と、学問における一般論による「指導統括」とを明示し、全体を貫くテーマをヨリはっきりさせるように改めた。しかし、この第2稿に対しても「一会員による」というレベルではいいものの、本来的な感想文としては物足りないという趣旨の指摘もあったため、何としても読者を納得させるようなものを目指しての第3稿へと向かったが、結果としてはそれほど満足を与えられるようなものにはできなかった。ここは現段階での感想小論としては一通りの結果を残す必要があるという時間的制約のための第1段階と割り切って、今後もこの『学城』から学び続けなければならないとの指摘として受け止めた。

 続いて、「現代の言語道具説批判」についてである。前回の振り返りの中で、「内容面では、この辺でそろそろ他の会員は言うまでもなく、一般読者にもはっきりと言語過程説と言語道具説の区別、及び言語過程説の優位性を理解してもらえるような言語表現をできるよう」にとの目標を立てての小論執筆であった。しかし、言語道具説の具体的な批判、町田健氏が中日新聞に連載している「現代日本誤百科」を個別に批判する前に、一般的に言語道具説はどのようなものかを明らかにする必要があるとの思いから、「現代の言語道具説批判」をシリーズものとして、今回は特に言語規範についてしっかり述べていこう、それも言語道具説と言語過程説を対比的に説明していこう、そして次回以降に具体的な批判を展開していこうと考えたのである。

 ここから三浦さんの様々な著作で触れられている言語規範に関する部分をノートにまとめながら第1稿のアウトラインを作成し、それをもとに執筆していった。第1回では言語の目的論である人間の思いやイメージを伝えるということを中心に、第2回は言語の対象論である言語は表現であって音声や文字自体であることを中心に、第3回は言語の方法論である言語規範とその媒介作用について、第4回では言語道具説批判を中心に、そして第5回では言語は使うもの(道具)ではなく創出するものであることを言語規範との対比を通して説くことを中心に、論を展開した。書き上げた直後には、「今までは言語道具説そのものを説こうとしていたが、この過程を言語規範とは何かという問題を検討するという回り道を辿ることで、却って言語道具説の実態を明らかにできたのではないか。説き方も、回を重ねる毎に徐々に進展していくという説き方が新たに試みられたのではないかと思う。」という満足げな記載を日記に認めているくらいである。

 ところが、第1稿に対する他の会員の指摘は私の予想を覆すものであった。言語道具説の事実が提示されていない、言語と他の表現との区別と連関が分かりにくい、批判が押し付け的でその根拠が示されていない、言語規範はどういう認識で、表現される認識はどういう認識かが突っ込んで(規範一般と独自の意志との連関として)検討されていない、などなどであった。

 これらの指摘はもっともで、こうした当初の私の満足感と現実の問題点との乖離には、3つほどの原因が考えられる。まず、私の認識は確かにある程度高まったのであるが、それを丁寧に言語表現できていなかったことである。言語一般としては間違いとは言えないものも、論文での言語としては間違いであることもあることも学んだ。次に、「一般的に言語道具説はどのようなものかを明らかにする必要があるとの思い」から、具体例を一切捨象したことである。しかし、いくら一般的に説くとはいっても、ある程度の具体性がなければ読者が納得するはずもない。自分の思いを度外れに拡大して逸脱した典型的な誤謬であった。最後に、この小論の目的が複雑なものになってしまったことである。言語道具説を批判することが目的であるのは題名からも分かるが、ここに言語道具説の実態の欠陥を明らかにするという前提を加え、さらに言語過程説との対比を通して言語規範とは何か、その言語との区別と連関は如何なるものかを今回の「言語道具説批判」の中心テーマとしたことで、論の展開が複雑になってしまい、様々な論点を含んでしまって、結果、個々の論点を丁寧に説くことができなかったのである。

 「第1稿から第2稿へのメモ」として問題点を整理したが、ここをさらに概括して、小論全体のあり方を再検討した上で、ブログ掲載1週間前までには第2稿を執筆したいと考えている。





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最終更新日  2014年03月03日 21時55分44秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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