8月20日 ポーランド 昼食 名物料理
さて、昼食です場所は・・・・アウシュビッツの向かい側・・・・・・・・アウシュビッツの駐車場から道を挟んで・・・・・昼食は餃子ですもちろんポーランド風ピエロギ中は1つはひき肉白い方はカッテージチーズ茹でてあります皮はもちもちひき肉の方はおいしかったですカツレツ驚くほどパサパサの豚肉デザート素朴なりんごケーキですこれからはホテルまでずーとバスの中途中30分スーパーマーケットへ寄ってもらえましたよぉーし買うぞ!!!!!ここで買ったもの1、5Lの水2円くらい・・・・・・それ以後ここ以上に安いものはなかった後は日本で買うより少々お高かったですほかはスープのもととかクッキーとかチョコとか・・・・・・チョコは失敗日本に戻って36度の気温で職場にもって行ったものは形はなく液体となってしまいました~他のチョコは、怖くて人にあげられない~でも、味は良いですよおいしいです日本がもっと涼しければよかった戦争が終わってその後ポーランド西部の広大な地域は、世界二次世界大戦までドイツ領だったが第二次世界大戦の敗北でドイツはソ連地帯に持っていた領土のすべてを失ったポツダム協定では、ポーランド・チェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)・ハンガリーに住むドイツ人は強制帰還を決定した当時、現ポーランド領には多くのドイツ人が住んでいた数百年前からドイツ人の移住が始まり、彼らは荒れ野を開墾し、商売をしていた戦争とは関係なく先祖代々からすんでいたドイツ人も含みドイツ人の強制帰還は人類史上最大の1400万人となった今まで虐げられていたポーランド政府はドイツ人に1、1945年7月14日午前6時から9時までドイツ人住民の移動が行われること2、ドイツ人住民はナイセ川西側地区に移住すること3、ドイツ人の荷物は最高20Kgまでとする 以下省略って本に載っていなかった・・・20kgといえばスーツケースの大きさですよねポーランド領にすんでいたドイツ人は先祖代々の土地から、財産一切を失ったこの難民たちにロシア、ポーランド人が復讐したなんせ、ドイツ人に殲滅させられそうになったのですからポーランド人80万人が犠牲になっています1000万人を超える引揚者のうち約200万人が殺され、飢えや病気で亡くなったもちろん女性の扱いも、例に漏れず悲惨な状態でしたドイツ人の非軍人が大量にソ連に送られ、強制労働に従事させられたその大部分は1950年代の半ばまで帰国できなかった日本人シベリア抑留の時にドイツ人も一緒だったのでしょうか?またソ連だけでなく、連合国で強制労働させられたドイツの軍人は、捕虜になった者のうち約100万人が復員を果たせず亡くなりましたポーランドより早く1945年6月19日にはチェコでドイツ人追放令が発せられたズデーデン地方のドイツ人約25万人がチェコ人によって虐殺され残りはドイツ領内に追放されましたポーランド自体は戦後後は社会主義国家として独立しましたポーランドの歴史広島県の人口・ 約2百86万5,500人東京都の人口・約1千3百,04万5000人東京都の住民全員が移動したと想像したらよいですね 想像できん~