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2003.06.13
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カテゴリ:
「子どもへのまなざし」児童精神科医 佐々木正美著 福音館書店発行から。
今日の読書会は、子どもの自由な発達について。

◎欠点と長所
>弱点や欠点はどんな子にもあるでしょう。それから、弱点や欠点があると、それに見合った長所がかならずあると思います。・・・(中略)・・・みんなおりまぜているわけですから、ある弱点があれば、かならずそれに見合った長所があるはずだと、親は喜べばいいわけです。
>たとえば、わが家には整理整頓が本当に下手で、部屋のなかがいつもよごれている子どもがいます。自分でちゃんとできないので、「あなたは、整理整頓がきちんとできるお嫁さんをもらわなくっちゃいけないね。でも家にいるときにはお母さんがやってあげる」といいながら、母親がやってあげるわけです。そのかわり、自分で整理整頓ができない子は、親の手伝いが上手なんです。「この子は整理整頓を親に手伝ってもらっているから、むこうも手伝わなくてはいけないと思って手伝ってくれるのか、あるいは、そういう弱点がある子にはこういう長所があるのか」、といいながらみてますね。親からみると、それに見合った長所にみえるわけです。
>子ども時代には、思いきりやりたいことをやっていることがたいせつなのです。そして、欠点や弱点は家族が協力し合って尻をぬぐってあげるから、安心して好きなことをやっていればいいのです。親がそういうふうに思っていると、子どもたちは大きくなるにしたがって、こんどはきょうだい同士がそうなりますよ。・・・(中略)・・・依頼心が大きくなって、自立しないなどということはないですから、心配はいらないのです。弱点は弱点のまま残しておいて、親やきょうだいや友人に手伝ってもらって、カバーしてもらえばいいのです。・・・(中略)・・・そういうふうに、相互に安心して依存し合える人は、人を信じる力があるということでしょう。人を信じることができる人が、本当の相互依存、言葉をかえていえば協力し合っていきていくことができるのだ思います。人は依存をすることによって、人を信じられるようになるのだと思います。人間は自分が信じられれば、なまけ者にはぜったいなりません。気力や意欲がでるということは、自分にたいするひそかな誇りや自信に支えられてのことですからね。


この章で一番好きなところ。
“人間は自分が信じられれば、なまけ者にはぜったいなりません。気力や意欲がでるということは、自分にたいするひそかな誇りや自信に支えられてのことですからね。”
欠点や弱点を訓練して自分でなんとかしようと思うのではなく、できることは自分でやるけど、できないこと・苦手なことは上手に人に頼ろう!っという考え方は我が職場のもっとうです。これが上手に育つと、自分を信じること、自分に対する自信にも繋がるんですね~。

◎過剰期待は発達のさまたげ
>子どもにたいする過剰期待というのは、子どもの将来をより豊かなものにしてあげたいという、相手にたいする思いやりや愛情のつもりでいるかもしれません。しかし、これはとんでもなくて、子どもが感じている心理的意味は、拒否されていることなのです。なぜかというと、現状のあなたには満足していないんだということを、別の表現をつかっているだけなのですから。
>ですから、過剰期待をされている子どもは、自分がもっている能力以上のまわりの期待で、がんじがらめになってしまいます。そのため、自分でなにをしたいのかという気持ちを失い、ほかの人からの、なにをどうしなければならないという指示や束縛のなかでしか、行動がとれなくなってしまうわけです。・・・(中略)・・・過剰期待をされる子どもたちは、自発性とか主体性が育たなくなってしまうわけです。
>自発性とか主体性を失った子どもの、ひとつの典型的な状態に、ミューティズム、かん黙があります。かん黙という状態は、言語や言葉の機能は十分もっているのに、人前では安心して自分の気持ちや考えを、相手に話して伝えることができなくなっていることをいいます。かん黙の子どもたちのうち、まだ問題が軽いときには、氏名や年齢や自宅の電話番号などは、質問されれば答えられるのです。しかし、大きくなったらなにになりたいとか、どんなテレビ番組が好きかといったような、自分で判断して、答えなくてはならないような問題や質問には、黙りこくってしまうのです。・・・(中略)・・・自分の判断の基準を育てることができなかったために、自発的に主体的に、なにかをすることができないのです。不登校の子どもたちのなかにも、共通する問題をかかえている子どもがたくさんいます。
>そういうふうに、親が自分の思うように、子どもを育てようとしすぎたり、指示したとおりにうまくいかないことでいらだって、さらにきびしくする、これが虐待です。ですから、子どもをかん黙にしてしまったり、虐待してしまうということは、基本的にはよくにていたり、おなじことでもあるのです。


子どもへの期待感がその子に見合ったものでないと、とっても苦しくて、いろいろなことに繋がっていくんですね。

◎反抗期は成長の準備
>子どもは自分を確立していくために、たえず依存と反抗をくり返します。子育てのやっかいさは、親に依存してきながら、それでいて反抗してくることです。ですから、親は子どもにあまりに寄りかかられると、ひどく重く感じ、反対に反抗されるといらだったりします。親業とはたいへんな仕事だと思います。
>子どもは親を信じているから反抗しているのだと、認識していればいいのです。いわゆる反抗期は、三歳前後、就学前後、それに思春期にありますが、子の時期は同時に、子どもが急速に成長や発達をするときです。成長するときは、たえず反抗していると思ってまちがいありません。子どもの成熟や発達は、依存と反抗をくり返しながら、らせん階段をのぼるようにして進展していくものです。・・・(中略)・・・子どもが健全に成長するためには、反抗期はあまりおさえこまないでいてあげるのがいいと思います。けれども、三歳児や就学前後の子どもというのは、未熟な判断で能力以上のことを、せいいっぱいやろうとしますから、事故と背中合わせの関係になります。ですから、子どもを危険から守るような手立ては必要だということを、気にかけてくださればいいのです。反抗期というのは、幼い子どもにとっては、相手に安心できるから反抗できるということなのです。相手を信じて、安心して自分のいいたいことをいったり、やってみたいことをやっているわけです。そういう機会を奪われた状態では、自分というものが育たないということも事実なのです。
>自主性とか主体性が育たないままで、大きくなっていったとき、いちばん問題がおきるのは、ティーンエイジャーになってからが多いようです。ティーンエイジャーになるまでは、親や社会の保護的な世界で生きていられるわけですから、子どもたちはなんとか問題もなくやってこられます。ところが、保護的な世界を脱して、仲間との本格的な社会的生活がはじまろうとするときに、「自分」のない子どもは仲間のなかに入っていけないのです。そして萎縮し、とうぜん、逃避したりひきこもったりします。人によっては拒食症にもなります。ある種のタイプの不登校にもなりますし、家庭内暴力にもなります。それは典型的なケースですが、そうでなくてもさまざまな意味での、情緒障害的な反応を示してきます。
>友達のなかに安心して飛び出していけないのは、まだ、親や安心できる家族を必要としているからなのです。そういうときは、親が守ってあげればいいのです。親的なものに満ち足りていなければ、基本的には、社会的集団のなかには飛び出していけないのです。巣立ちのときがくるまでは、安心して巣のなかで育ててもらえばいいのです。親から得るべきものを十分に得て、それと比例して仲間のほうへ、だんだん傾斜していくわけです。ですから、まだこの子は不十分だと思ったら、どうぞ親が保護してあげてください。いくつになっても帰っておいでと、待っていらっしゃれば、かならず巣立ちをしていきますから。・・・(中略)・・・そしてそれが切れたらまた戻ってきて、安心して充電できるような家庭が必要なのですね。そういう雰囲気や昨日を生みだすのが親の役割でしょう。母なるものというのは、そういうものをいうのではないでしょうか。


“親的なものに満ち足りるまでは待っていればよい。かならず巣立つ。”
私はある時期、自分の役割が与えられる存在から与える側にそろそろ変わってきてもいい頃なんだというのを、しきりに感じたことがありました。今思えば、巣立ちの時期のひとつだったのかもしれません。まだ、行きつ戻りつしてますけどね。
満たされないまま大人となり、社会にでているんだなっと感じる方って身の回りにも結構たくさんいらっしゃいます。相互依存があまり上手じゃなくって、思わず助けてあげたくなったりもしますが、そのことがあんまりちゃんと返ってこないので、もう知らない!っと思ったりしてます。





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Last updated  2004.08.07 00:51:01
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