カテゴリ:統一教会
1954年から数年間6マリアの一人、文鮮明の原理を信じ復帰を受け5,6人の男性と復帰を実践した。 ーユシンヒさんはプサンのヨンドで、夫のシンソンモクさんと5人の子供たちと穏やかに暮らしていた。 ユ:そうです。1953年12月24日のことでした。最初から3日間だけ使わせてほしいと言う約束でしたが、結局25日間も過ぎてしまいました。その時、親戚のユヒョオン、ヒョヨン兄弟そして ユヒョミンなど頭のいい人達が信じるようになったので、私たち夫婦もまるっきり信じてしまいました。 ユ: メシアは偉大な人だと考えていたし、詳しいことは理解できなかったけれど、親戚のお兄さん方が全部信じていたので私たち夫婦も疑うことをしないで信じてしまったんです。 ーそれで、しばらくしてから夫婦がソウルに行かれましたよね?子供さんたちはどうされたんですか? ユ:夫がまず家を出たために、私が家族会議のようにして子供たちを集めたときに話をしました。 ーもう40年も過ぎたわけですが今お子さんたちはどうしてますか? みな、キリスト教信者としてただ普通におとなしく過ごしています。しかし、末娘とはよくぶつかります。母親のせいで教育もまともに受けれずとても大変だったと、私を責めるのです。
:今まで沈黙してきたのは子供たちに復帰の事実を知られるのが恥ずかしく,怖かった為です。私はもう年も年ですので我慢できますが、子供たちや孫たちにまで及ぶ影響を考えると本当に恥ずかしい限りですが、自分のようにだまされる人が少しでもいたらだめだと、死ぬよりも難しいこの事実を明らかにしようと決心した次第です。 ー文鮮明との復帰について詳しく話してくれますか? :ある女性信者一人にだまされて、夜遅く真っ暗な文鮮明の部屋に行きました。 ーそれはなぜですか? :文鮮明は複数の女性との関係が多くて、次はいつ私の番が回ってくるかはわからなかったし、また、よくない話を聞いたためでした。同じく避難民時代に、それはほかでもないボンネッコル(今は聖地として指定され統一教会信者たちが世界各地から崇拝しに来る)当時、ある彼女ははその近くに住んでいたため
. :その時文鮮明から、復帰を受けた女性はほかの男性を復帰しないといけないと教わって、そのごとく信じていたのでした。それで、5,6人の男性と復帰しました。 . :6マリアの話は聞いたことはありますが誰がそうなのかは知りませんでした。 それで、私自身、自分がどんな立場にいるのかなんてわかりませんでした。私よりも立派な女性たちがたくさんいたので、文鮮明の周りにはいつも3人くらいがべったりくっついていたし私よりも、立場が上の人達だと考えていたくらいですから。 ーその3人とは誰のことですか? :シンジョンスン、イスンチョル、ヤンユンシンさんたちでした。文鮮明は特別にかわいがっていましたが、後に財産を狙って財閥と結婚させたイムヨンシンが加わったのは、その後のことでした。 ー文鮮明はかわるがわるこの3人の女性を身辺につけて、はべらせていたと言うのですが、同じ女性同士文句を言い合うことはなかったですか? :ありましたよ。女性同士だから当然嫉妬だとか、独占欲だとか。それで女性同士ひどいけんかになったとき文鮮明はそんな女性を殴ったこともありました。 -6マリアはその時そのときで定員が適当に交代され、結局財産や新しい女性が目標だったんですかね。 : 私たちは横で行われていることも知りませんでした。それである時などその周囲で追い払われた女性だけでも5人にもなって、お互い話したりする事もありました。その情報交換でわかったことですが あまりにも悲惨な話が数え切れないほどに続出しているのを知り、みなが憤慨しました。 :そうだと思います。ある時人が集まって親戚のユヒョオンが、汗を流しながら熱心に原理の説明、講義をしているのにもかかわらずその横で、文鮮明は女性たちとヒーヒー騒いでいるのです。
:今思うのは"恨み"(ハン)それだけで、本当に後悔しています。
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Last updated
2007.12.19 09:48:58
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