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ラッキーくじなど ただ今、都合により「リンクス」は辞退させていただいております。
Copyright (C) 遊邑舎 2003-2009 All Rights Reserved. 遊び学きまぐれ日記 [全2490件]
なお、この記事は編集の都合上、削除(コメントも含む)する可能性があります。よりまして、コメントは掲示板の方にお願いいたします。 【1964年の東京オリンピック開催以来、厚生労働省は、小学生から高校生までの運動能力を年1回、スポーツテストで計測しています。子どもの体は柔らかいものだと思われがちですが、データでは、小学生の柔軟性の低下が目立っています。(中略)柔軟性が不足する原因の一つに、子どもを取り巻く環境があるといわれています。外で遊ばなくなったり、洋式の住まいが多くなったため、しゃがむことが少なくなったり、リモコン操作が増えて、家の中での動きが減ったりなど諸説はさまざまです。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山陰中央新報:2009年11月18日) 長い人生の中で、最も身体の柔軟性があるのが、こどもだと言われている。「否、言われていた。」と訂正しなければならないのが、今の時代の日本の現実なのだろう。記事が挙げるその原因も、確かにうなづける。 その一方で、この様な記事もある。【人気は今も根強い。バンダイナムコゲームス(東京)とネットマイル(同)は今春、子どもの遊びに関する調査(574人が回答)を行った。小学生が外でする遊びとして、「かけっこ・鬼ごっこ・缶けり」は、5割を超えた。「ボール遊び」が多い男の子に比べ、女の子の方が、鬼ごっこなどの人気が高かった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年11月20日) (続/未完) 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト
(その3からの続き、引用記事は再掲)【「幼児共育」の考え方を広めようと作ったリーフレット 県教育委員会は、「幼児共育(ともいく)」の考え方や取り組みを広めようと「幼児共育リーフレット」を作った。近く幼稚園、保育所などを通じて、幼児がいる県内全世帯に配布する。 第5次県教育振興計画に基づき、本県では「家庭」「幼稚園・保育所」「地域」が連携して幼児期の子どもをはぐくむことを、独自に「幼児共育」と呼んでいる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山形新聞:2009年11月14日) 次に、「育ち」の「糧」に、こどもたちが興味を持つ「育て」の例を挙げてみる。昔からの格言的な言葉にもあるように、褒めて育てる事は、褒められた時の喜びが、「育ち」の「糧」への興味を増大させるのは、よく知られたことだ。 褒められなくても、出来ない事が出来るようになったりした時は、こどもたちは大きな喜びを感じるものだ。他者から褒められれば、その喜びが、もう一段高い目標への意欲をひきだす。だから、直接「育て」の側から褒められると、もっと喜びは大きくなり、意欲も比例して大きくなる。 褒められて意欲が増す事を裏から見ると、けなされたり叱責されたりすると、特別の場合を除いて、その事への意欲を無くしてしまう事は少なくない。だから、「育て」の期待通りのテンポで、「育ち」が進まなかった時に、こうした「けなし」や叱責が出やすい。そんな時には、「育ち」を待ってあげることも大切だ。この「待ち」は一種の「褒め」と見なせる。 もちろん、こどもたちがある程度成長した段階において、叱責や批判が「育ち」を促す場合もある。しかし、「育ち」の側のこどもたちからすれば、できれば気持ちの良い状況のまま、「育ち」ができれば、それに越した事は無い。「育ち」の未熟な面は、直接に関っている「育て」の側から指摘されなくても、周りの人たちから指摘・非難されることは良くある。だから、少なくとも「育て」の側の、誰か一人くらいは「褒めて待つ」のも、「育ち」の好条件となる。 「育ち」を積極的に促す「育て」方には他にもあるが、今回のブログではこの程度に止める。「育て」は一方通行的な活動ではなく、「育ち」と調和しながら「育て」も発展し、その新たな「育て」が「育ち」を発展させる。この連関の繰り返しの中で、「育て」と「育ち」が共に成長していく。この事が「共育(きょういく)」であり、「響育(きょういく)」とも呼べる「育(いく)」ではないだろうか。 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
(その2からの続き、引用記事は再掲)【「幼児共育」の考え方を広めようと作ったリーフレット 県教育委員会は、「幼児共育(ともいく)」の考え方や取り組みを広めようと「幼児共育リーフレット」を作った。近く幼稚園、保育所などを通じて、幼児がいる県内全世帯に配布する。 第5次県教育振興計画に基づき、本県では「家庭」「幼稚園・保育所」「地域」が連携して幼児期の子どもをはぐくむことを、独自に「幼児共育」と呼んでいる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山形新聞:2009年11月14日) これまで、「育て」と「育ち」の関係において、「育て」が「育ち」に依拠している面をみてきたが、こうした関係を踏まえて、望ましい「育て」の有り方を考えていく事とする。望ましい「育て」のひとつの有り方は、前回に指摘したように、こどもたちの「育ち」の糧を提供する事だった。 「育ち」を強要するような「育て」ほどではないが、もう少し「育ち」そのものに積極的に関与する「育て」も考えられなくはない。そんな「育て」の有り方が、「育ち」を促す関わり方だ。これも、厳密にみれば、「育ち」の「糧」を提供する事でもあるのだが、より「育て」の側の「育ち」への働きかけが、鮮明な「育て」の有り方だ。 「育ち」は、こどもたちが提供された「育ち」の「糧」を取捨選択して取り入れる事だったが、その取捨選択は当然こどもたちの「糧」に対する興味・関心の大きさに左右される。だから、こどもたちが興味をひくような「糧」を提供したり、「糧」に興味を持たせるような工夫をする事は、「育ち」を促す一つの方法となる。 (続く) 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
(その1からの続き、引用記事は再掲)【「幼児共育」の考え方を広めようと作ったリーフレット 県教育委員会は、「幼児共育(ともいく)」の考え方や取り組みを広めようと「幼児共育リーフレット」を作った。近く幼稚園、保育所などを通じて、幼児がいる県内全世帯に配布する。 第5次県教育振興計画に基づき、本県では「家庭」「幼稚園・保育所」「地域」が連携して幼児期の子どもをはぐくむことを、独自に「幼児共育」と呼んでいる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山形新聞:2009年11月14日) 私は、望ましい「育て」の一つのあり方は、こどもたちの「育ち」における、いろんな意味での「糧(かて)」を、こどもたちに提供する事だと思っている。文字通りの「糧」である日々の食事をはじめとして、衣食住を提供する事。災害や外敵からこどもたちを保護し安全を提供する事。これらは、こどもたちが「育ち」を全うする上での必要条件となる。 さらに、そうした最低の条件の下、人間として必要な知識や知恵、人間社会を生き抜く術(すべ)などを提供する事も「育て」だ。これらは、一般的に「教え」や「教育」と言われるものと考えてもいいのだが、ともすれば「教え」や「教育」の中には、「育ち」の「糧」として提供するだけでなく、こどもたちに知識・知恵・術を押し付ける場合もある。 「育ち」は決して受身一方の生命活動では無い。自然界のあらゆる事物や他の人間から提供された、「育ち」の「糧」を、こどもたちが無意識的・意識的に取捨選択して、取り入れていく能動的な生命活動が「育ち」なのだ。こどもたちは、成長と共に意識的な選択は、感性から理性へとその意味合いをシフトさせていく。 ともかく、「教え」や「教育」においては、「育て」の側の思い、時には企みが、必ずしも、こどもたちに具現化するとは限らない。とかく、親や教師の思い通りには、こどもたちは育ってはいかない例は少なくない。それをみても、ある側面では「育て」は、こどもたちの側の「育ち」に依拠している事がわかる。 (続く) 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
興味を惹かれる言葉が、ネットニュースに配信されていた。【「幼児共育」の考え方を広めようと作ったリーフレット 県教育委員会は、「幼児共育(ともいく)」の考え方や取り組みを広めようと「幼児共育リーフレット」を作った。近く幼稚園、保育所などを通じて、幼児がいる県内全世帯に配布する。 第5次県教育振興計画に基づき、本県では「家庭」「幼稚園・保育所」「地域」が連携して幼児期の子どもをはぐくむことを、独自に「幼児共育」と呼んでいる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山形新聞:2009年11月14日) 興味深い言葉は、「共育」だ。記事では「ともいく」と読ませるそうだが、「きょういく」と読むような言葉も、すでに幾つかの例がある。「共育」の読み方の違いもさることながら、その意味合いも違っている。記事の「共育(ともいく)」は、おとなが共に、こどもを育む(育てる)事を意味しているし、「きょういく」は、おとなもこどもも共に育っていく事を意味するようだ。 この両者の違いは、「育」の意味とその主体に根本的な違いがある。前者の「ともいく」では、「育」は「育む」となっているが、「育てる」と同義で、その行為の主体者は、育てる側であるおとなとなっている。一方、「きょういく」の方では、「育」は主として「育つ」を意味し、その主体者はおとなとこどもの両者となっている。それでも、「きょういく」は、「育てる」事により共に育つと、考えるとその主体者はおとなに、やや偏るように思われる。 ところで、これらの「共育(ともいく)」も「共育(きょういく)」も、どちらも意義のある事に間違いがないが、ともすれば「育て」という事に囚われすぎて、「育ち」と言う、こどもたちの主体的な活動の意義を、軽視する傾向も生まれ易い。時には、こどもたちの「育ち」を無視した、半ば強制的な「育て」も行われたりする。 この様に、こどもたちにとって、この「育ち」や「育て」が、どの様な意味を持っているのか、「育ち」と「育て」の関係はどうあるべきなのかは、様々な考え方がある。私も、長年、自らの娘たちの「子育て」と、学童保育での指導員と言う立場での「保育」に、関ってきた。その経験や体験を通して、私なりの「育ち」と「育て」の意味と関係を、掴み取ってきた。この事について、思い付きを綴ってみたいと思う。 (続く) 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
【男鹿市の男鹿水族館GAOの人気者、ホッキョクグマの豪太が26日に6歳の誕生日を迎える。元気に成長し、人間で言えば成人にあたる年齢に。同館は大人になった豪太が花嫁を迎えられるよう、各地の動物園に声をかけるなど“婚活”を本格化している。(中略)とはいえ「まだ子供っぽさもある」(飯田さん)という豪太は、自身の縁談などどこ吹く風。無邪気にカラーコーンやボールなどのおもちゃで遊んだり、餌の骨付き肉を狙うカラスと追いかけっこをしたりとまだまだ遊びたい盛りの様子で、来場者に愛嬌(あいきょう)たっぷりの姿を見せている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2009年11月13日) 記事は、ホッキョクグマの話題だが、ホッキョクグマにも「遊びたい盛り」があるようだ。動物園のホッキョクグマは、食べ物については完全に給餌されているから、成人に達しても「遊び盛り」だと思うが、自然界ではもう少し早い時期から一人立ちするので、「遊び盛り」はもう少し早く終わる。 さて、当然、「あそびをせんとやうまれけむ」と言われる、人間のこどもたちにも「あそび盛り」はある。私は、このブログで幼児から小学生の時期を「あそび期」と定義しているが、その「あそび期」の中でも、あそびの最盛期である「あそび盛り」の期間がある。 私見で言えば、小学校の中学年から高学年(3〜6学年)に相当する。私自身のこどもの頃の記憶でも、この時期のあそびを、数多く最も鮮明に思い出せるので、それだけあそびが豊かな時期であった事に間違いが無い。そして、この時期は、こどもたちが最も群れてあそぶ時期でもある。 この「あそび盛り」が小学3〜6年生の時期である事は、私が20年に渡り指導員として務めていた学童保育での、こどもたちの実際の様子でも実感した事だ。身体的・精神的な能力の基本が一通り出揃う時期でもあり、それに伴ってあそびが爆発的に開花する時期となる。まさに「あそび盛り」であり「あそびの盛り」でもある。 しかし、高度経済発展期以降は、この「あそび盛り」の時期が、塾や習い事の開始時期と重なるようになり、実質上「あそびの最盛期」がより低い年齢にシフトしていく。さらに、20世紀末ごろから塾・習い事の開始時期がさらに低年齢化し、小学校期を通して「あそびの最盛期」が見つけ難い状況が見られるようにもなる。 へたをすれば、高校生がこどもの中で最もあそんでいるような極端な例もある。しかし、それは誰も「あそび盛り」とは言わない。それは、「あそび盛り」の消失と、言っても過言で無いような時代に突入した事を意味するのかも知れない。「あそび盛り」にあそんでいるのか、もう一度周りのこどもたちを見てみよう。あそんでいなければ、その事のおかしさを考えてみよう。こどもたちのために! 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
(その1からの続き、引用記事は再掲)【国際オリンピック委員会(IOC)のコペンハーゲン全体総会では、室内で遊ぶ子どもの増加、学校での体育の時間減少、子どもの肥満は多くの国で共通するとの指摘が出た。IOCはスポーツの土壌が危ういと心配する。 彼らは一つの方向転換に出た。パソコンなどが子どもの屋外での遊びを妨げる、好ましくない道具と見なしてきた姿勢を打ち捨てるという。 彼らが注目し始めたのは、画面の中での競技の進行に合わせ、競技者のように体を動かして遊ぶ家庭用ゲームだ。(中略)IOCは、このゲームがお気に入りの若者は潜在的なスポーツ選手として歓迎する姿勢だ。ゲームの人気が広がることは、スポーツの拡大に通じると期待する。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/四国新聞:2009年11月13日) また、ランニングなどの持久走は、ゲームによる「仮想スポーツ」でも心身の疲れは可能だ。しかし、元々持久的に身体を使う事が苦手な者にとって、ゲームでの持久走を好きになる事はほとんど無いと思われる。反対にゲームでの持久走が好きになるようなら、その前に本物の持久走が好きになるだろう。 もちろん、ゲームのハードとソフトが共に進化して、全く本物のスポーツがシミュレートできるなら、機能的な問題は無くなるが、そうなればそれは「あそび」ではなく、もはや一種の「スポーツ」となる。こうなれば、「ゲームの人気が広がることは、スポーツの拡大に通じる」事自体が矛盾となってしまう。 では、どうすればIOCが危惧する「スポーツの土壌」の危うさから脱する事ができるのだろうか。それは、少し前の時代までがそうであったように、「草野球」や「三角ベース野球」、「ゴム段とび」、「相撲ごっこ」などなどの、「本物のスポーツを真似したあそび」や、「どろじゅん(探偵ごっこ)」、「馬とびあそび」などなどの、身体を使った「集団あそび」の復活により可能となるだろう。そして、おそらくそれが「スポーツの土壌」を確実に大きく豊かにしてくれるだろう。 そうしたあそびをこどもたちから奪っていった、あそびの三間(さんま)である時間・空間・仲間の減少を、昔のように豊かにする事でのみ、そうしたあそびを復活させる事が出来る。IOCは、「仮想スポーツ」に期待するより、こどもたちに、あそび時間とあそび場とあそび仲間を、増やす事を追求するほうが得策だろう。 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]() |一覧| |
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