第318回 水道タンク前(すいどうたんくまえ) 後編
(前回からのつづき)水道タンクの正式名称は、野方配水塔です。震災後の東京の急激な人口増加に対処するため、大正末年から昭和にかけて、多摩川の水を中野区北部から板橋区にかけて給水する目的で敷設された荒玉水道の施設です。設計は、近代上水道の父といわれた工学博士の中島鋭治によるもので、高さ約33メートル、直径約18メートルという巨大な塔は、昭和5年に完成しました。荒玉水道については、第230回「廻沢」の項でも簡単に触れましたが、世田谷区喜多見の砧浄水場から杉並区の堀ノ内妙法寺付近まで、きれいな直線道路がおよそ10キロにも及ぶ荒玉水道道路をご存知の方も多いでしょう。その延長に建てられているのが野方配水塔で、その機能は戦後の昭和41年まで稼動していました。因みに、荒玉の「荒」は荒川を指すと思われますが、荒川からの給水は実現していないようです。配水停止の後、塔の周辺は公園として整備されましたが、塔そのものは災害時用の貯水槽として現在に至っています。高台の立地に加え、大きくて独特のフォルムは周辺のランドマークとしても特異な存在感を放ち、水道タンクの名は付近の地名としてもすっかり定着している感があります。中野区の案内板によれば、塔の正面、すなわち幼稚園側から見ると、空襲時の弾丸の跡が残っているとのこと。肉眼では確認しずらいですが、これゆえに塔は平和のシンボルとしても親しまれているようです。塔を後にし、バス通りを歩いてみます。通りは中野区と新宿区の境界を北上し、やがてひとつ先の芳花園住宅バス停が見えてきます。この「芳花園」の名も、本ブログとしては興味深いです。昭和初期の宅地開発の際の命名でしょうか。普段何気なく見過ごしがちなバス停名も、その由来を調べてみると意外な街の歴史に行きあたることもあり、「芳花園」もいずれ時間のあるときに由来を調べてみると面白いかもしれません。↑↑↑ブログランキング参加中です。