第200回 【梅70編(34)】 三ツ木薬師前(みつぎやくしまえ) 後編
みなさん、こんにちは。いつも「バス停地名学のすすめ」をご訪問いただき、誠にありがとうございます。おかげさまで本ブログも、今回をもちまして連載200回を迎えることができました。昨年末、連載150回記念として、【坂道編】拡大版をお届けしましたが、今回も200回記念として、【梅70編】拡大版「箱根ヶ崎」を準備中です。ご期待下さい。ひとまず今回は、「三ツ木薬師前」の後編です。それでは、どうぞ。==========(前回からのつづき)大きな蔵を擁した農家の庭先などを見ながら街道を歩き、三ツ木3丁目の後ヶ谷戸地区への入口となる通りを少し入ると、宿の子育て地蔵尊を収めた小さな堂が建っています。「宿」はこのあたりの古い地名で、もとは街道の東側にあった地蔵が、明治期の道路改修の際に現在地へ移されたと伝えられます。子宝と子育ての祈願に、今も遠方から訪ねる人が多いそうです。地蔵堂から裏道をぐるりと回って青梅街道に戻ると、三ツ木薬師前バス停の少し先にある宿の薬師堂の前に出ます。秘仏といわれた薬師如来を本尊とし、慶長年間(1596~1614)に創建されましたが、昭和15年の火災で焼失し、現在の本堂は翌16年に再建されたものとのこと。ここでは、文化11年から続けられたという双盤念仏(薬師念仏鉦はり)が、都の無形文化財として伝えられています。双盤(そうばん)とは、念仏の伴奏に使うシンバルのような金属製の打楽器で、宗派によって様々な流派があり、明治から大正にかけて各地に広まりましたが、大半は戦時中の金属供出で消滅したといいます。バス停に戻ると、すぐ傍に鮮やかな朱塗りの堂が特長の、赤稲荷の社があります。もとは近くにあった屋敷神だったようですが、青梅街道の拡張に併せてこの地へ移転したとのことです。バスは三ツ木地区を抜けると、武蔵村山市西北端の岸地区に入ります。その境界となる交差点名に、「宿」の名が残っているのを、車窓から確認できました。人気blogランキングへ