第220回 【梅70編(54)】 終点、青梅車庫にて 後編
(前回からのつづき)青梅街道に戻り、バスから見えた旧稲葉家住宅を訪ねます。江戸時代後期の建築といわれる土蔵造りの建物で、材木問屋から青梅縞の仲買問屋として名を馳せた豪商稲葉家が、明治期後期までここで商売を営んでいたといわれます。間口いっぱいに土間が広がる前土間形式という造りで、入口に置かれた記名帳を見ると、全国から多数の人が訪れている様子に驚きます。旧稲葉家住宅の裏手には、大多摩酒造のレンガ造りの煙突が見えています。その先の酒店の店先に、「此処に駅有りき」と刻まれた石碑があるのを見つけ、足を止めます。近づくと、碑の台座には「中武馬車鉄道森下駅跡」の文字がありますが、ここは明治から大正期に青梅と入間川(現在の西武新宿線狭山市駅)を結んだ馬車鉄道の駅跡とのこと。青梅車庫を覗く前に、その北側に隣接する熊野神社を訪ねます。ここは徳川直轄領時代の森下陣屋跡といわれ、熊野神社はその鎮守として祀られていました。市の天然記念物となっている大きなカシの木がありますが、私が訪ねたときは枝葉をすっかり刈られ、寒々しい姿となっていました。そして、最後に青梅車庫へ。緑色の都営バスがずらりと並ぶ様子は壮観で、何度も途中下車しながらようやく辿り着いた終点という実感が、ここに佇んでいるとじわじわと湧き上がってきます。かつては杉並営業所の支所扱いでしたが、現在は早稲田営業所青梅支所が正式名称で、[梅70]をはじめ、青梅市中心部と吉野、成木方面などを結ぶ青梅地区全路線を管轄しています。車庫入口の待合所には、学校帰りの高校生が数人バスを待っています。街道を行き交う車が途切れると、車庫は途端に静寂に包まれます。かすかに、乗務員の談笑の声が聞こえてきます。予め決めていたわけではありませんが、復路は青梅車庫から柳沢駅まで、一気に乗り通してみることを目論んでいる自分に、ふと気がつきました。人気blogランキングへ