第288回 【街の神仏編(18)】 三軒寺(さんげんでら) 後編
(前回からのつづき)寺院の集団移転というと、まず思い浮かべるのは江戸時代初期の江戸城拡張工事に伴う大規模な移転で、麹町周辺の多数の寺院が江戸市中各所に分散した事例であり、第140回「魚籃坂下」の項で触れた三田の寺町などが、その代表例でもあります。その後も江戸期には、大きな火災の後など、様々な寺院の移転が見られますが、明治期以降になると、最も規模の大きな事例といえるのが、震災後の移転でしょう。練馬区では、豊島園の近くに通称「十一ケ寺」と呼ばれるこじんまりした寺町があり、これも震災後の移転によるものですが、今回訪ねる谷原の三軒寺は、それよりも更に小さなミニ寺町で、築地にあった真龍寺、宝林寺、敬覚寺の三寺が、震災後にそろって移転してきた場所になります。移転当時の建物として残るのは、真龍寺の小ぶりな本堂だけでしょうか。北側に隣接する清掃工場の手前をぐるっとまわり、三軒の中では寺域の広い敬覚寺の境内もひと回りした後、谷原の住宅街を少し歩いてみることとします。目白通りから谷原5丁目に少し入ると、雑木林の残る小公園のような一画に出ます。入口に「田中山憩いの森」とあり、宅地化により急速に失われていった武蔵野の面影を、計画的に保存している場所のひとつのように見えます。地図を見ると、周辺に同様の「森」がいくつも見つけられます。雑木林が残るとともに、江戸期の田中新田に由来する「田中」の地名も残され、私のような散歩者にとっては嬉しい空間がここにあるといえます。