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zusi_k

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May 19, 2010
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悪には「悪の美学」というべきものがありそうで、正義のヒーローよりも筋の通った悪のほうが好きということもありえます。
倫理的に批判される存在だから嫌われるキャラだ、ということではないのでしょう。
ダークヒーローという言葉もあるように、あの有名なスターウォーズのダースベーダーなどのような人気キャラもいます。
『宇宙戦艦ヤマト』のデスラー総統は古典的すぎるとしても、ガンダムシリーズ定番の“仮面の男”などといった存在もありますね。
倫理的な善悪は単にキャラの要素の一部でしかなく、現実世界で倫理的に悪である存在を肯定することよりも、フィクションの世界のほうが肯定しやすいということなのかもしれません。
正義を装ったヒーローよりも、自分の欲望や目的に忠実な悪のほうを好きでいられる。
架空の世界だからこそ、そうしたことへの抵抗感が少ないのだろうと思うわけです。
(念のために言っておきますが、だからアニメを見ていると殺人鬼をヒーロー視するようになる、などと飛躍して考えないように/苦笑)

『とある魔術の禁書目録』(アニメ版/ラノベ原作)を例にとると、主人公である上条 当麻《かみじょう とうま》よりも、一方通行《アクセラレータ》のほうが個人的には好きなキャラでした。
今はアニメの出来自体については少しおくとして、『とある魔術~』の売りの一つは主人公の正義っぷりだと思われます。
主人公の考える“正義感”で相手の主張とたくらみ?を打ち破ることの繰り返しが物語の軸(少なくともアニメ版では)となっているのですが、たしかに世間的な倫理観や個人的な感覚としての正しさからは正論のようにも聞こえる内容とはいえ、どうにも共感しにくい主張に感じることのほうが多かったのです。
この作品では、本質的なところで勧善懲悪の構図ではない(戦う相手も戦いの後で仲間的になることが多い)こともあるので、主人公だけがやたらと自分ひとりの正義を振りかざして押し付けているように見えてしまうところが、個人的にうんざりさせられました。
このアニメの場合、多くの戦い(ほぼ一対一)で相手側に倫理的な非があるような設定となっているのですが、それも深刻な“悪”としてまでは描かれていなかった場合が多かったと思います。
一方通行というキャラは、暴力的で反社会的な態度のキャラとして描かれているから悪のように見えるだけで、その背景がちゃんとわかってしまえばむしろ学園都市の被害者のような側面があることも判明するため、確信的なダークヒーローというほどではないのかもしれません。ヒーローである主人公の対立軸に位置していそうなので、アンチヒーローとでも言った方がいいのでしょうか。

基本的に、悪いことをすると罰が与えられるのがアニメの大原則でしょう。
主人公たちに倒されるだけではなく、味方に裏切られるとか、爆発などに巻き込まれて死んでいくとか、自業自得的な結末を迎えることも多いですね。
その意味では、エロを除けばテレビで流される番組の中ではかなり倫理的なコンテンツだ、とさえ言っていいのかもしれません。
ルパン三世だのキャッツアイだの盗むことに関してはちょっと扱いが違いますけど、人の生死に関わることや人道的な罪、社会全体に対する罪などについては必ず因果応報として扱われているはず。
それを踏まえると、人物像として掘り下げられた悪役であっても、最後には何らかの悲劇的な結末となることが予測されるという見方もできます。
悪役にひかれるという心理には、悲劇のヒーローに対する同情や共感、もっと言えば強すぎる正義(主人公)に対する判官びいきなども影響しているのかもしれません。

また、倫理的に最初から悪の側に設定されているキャラの場合、倫理的な欠点はキャラとしての批判に上がることは稀ではないでしょうか。
一方通行に暴力的なキャラだからダメだ・・・といったところで、だってそういうキャラなんだもの、ということになるだけ。
悪役に対して悪であることを理由にした批判は上滑りなだけでしかなく、逆に悪役のいいところは目立ってしまう。
それに比べると、上で述べたように、善である主人公キャラに対してその正義や正しさがおかしいと思えば、倫理的には正しいのかもしれないが好きになれないキャラだ・・・という認識になりかねない危うさがあります。
受け入れられない悪は悪であるだけだが、受け入れられない善は自分にとっては“悪”にもなりえる、とでもいうべきか。
そして致命的なことに、ライバルキャラや悪者キャラを倫理的な部分で嫌いでも作品は見れますが、主人公キャラの倫理観や価値観を嫌いになってしまうと作品自体への拒否へとつながりやすい。
ガンダムSEEDで見られた主人公キラに対する賛否の反応などを見ていても、そうした部分は感じられました。

つまり、倫理的な部分はキャラを形作る一要素に過ぎないものの、それが主人公の場合には作品自体の倫理観を代表するようなことにもなってしまう、ということなのかもしれません。
そして、正義であり善の役目を期待されるような主人公キャラほど、主人公の倫理観が否定されると作品自体への(倫理的な)批判を生みかねない。
架空の世界のキャラが持つ倫理観と、見ている側の私たちの倫理観とのズレについては、制作者側もそれなりに意識して作っている場合は多いでしょう。
何かしらの問題提起を作品の中に込める場合は、特にそうであるはず。
しかし、倫理的な批判や拒否感が一度キャラに対して湧きあがってしまうと、理屈だけではそれを払しょくすることが難しくなるため、冷静に制作者の意図を考えたキャラ考察(評価)をおこなうことも難しくなってしまうのもまた事実。
善悪や真実などの普遍的価値観への問いかけというものは、アニメも創作物の一つとしては逃れられない一面なのでしょう。
悪にあこがれ正義に反発したくなるという心理は、フィクションゆえの楽しみ方。
同時に、フィクションであるとわかっていてもそこに倫理観を持ちこんでしまうのは、見ている側にとっての性(さが)であり本能であり業(ごう)である・・・とか言っておきましょう。

もっとも、見ている(あるいは見もせず)人間の価値観や倫理観を一方的に作品に対してぶつけて、断定的に作品自体の善悪を決めつけてしまうようなことだけは避けたいものです。(作品との対話の放棄)
それはもう、キャラや作品に対してどうこうというような話ですらなく、身勝手な都合を独善的に押し付ける行為でしかないのですから。





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Last updated  May 19, 2010 10:23:11 PM
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