065669 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

駄々モレ。

駄々モレ。

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Headline News

Keyword Search

▼キーワード検索

Category

Profile

zusi_k

zusi_k

Oct 16, 2010
XML

『きわもの』アニメに見えながら、実はそうじゃないんじゃないか?
とか言いつつ、やっぱり『アニメ』だよなぁ~という作品。
個人的には間違いなく好きな作品のひとつだし、オリジナルアニメとして、こういう作品にもっともっと挑戦してほしい気持ちです。

基本的にはオカルトというタイトルの通り、時間旅行や超能力、魔法や宇宙人などなど何でもありのごった煮。
全十三話の中で一話もしくは二話単位のエピソードが重ねられて結末を迎えます。
舞台は西暦1999年の世紀末、長野県は松代(かなり実際の風景を取り入れているみたい)。
ノストラダムスの大予言にある「空からやって来る恐怖の大王」こと、作中では「宇宙人の地球侵略」を防ぐため“ノストラダムスの鍵”を見つけ出して破壊することを目的として主人公たちが動く中、様々なオカルト事件が巻き起こるというお話。



主人公である神代マヤ《くましろ まや》の見えそで見えないパンツが最大のオカルトだ、という話はさておき。
交霊術(降霊術)や臨死体験、チュパカプラにキャトルミューティレーションなどのオカルトが出てくるため、通りいっぺんのそういう知識はあるほうが楽しめます。
そして、それはもちろん言葉と意味だけならネットで調べることも簡単なのですが、それよりも一歩進んで世紀末に繰り返される社会不安とオカルトブームについても思いをはせると、より楽しめると思います。
西暦の区分でいえば2001年からが二十一世紀だから本当の世紀末は2000年だろとか、そもそも世界中でいろいろある暦の中で『西暦の世紀末』だけを世紀末としなければならない理由はないとか、そういう冷静なツッコミはこれまたおいといて。

80年代や90年代前半ごろまで、世紀末とオカルトを結びつけていたのは『不安』だった、と思います。
冷戦という奇妙なにらみ合いを生み出した全面核戦争による人類滅亡の危機などが、万が一の恐怖として実感できていた時代。
経済成長を続けていく中で生まれた、こんな繁栄が永遠に続くはずがないという漠然とした不安感。
その後、経済戦争でソ連が破れ去って冷戦構造が崩壊すると、今度は方向性の見えない世界の行く末にリアリティが生まれ、世紀末が近いから何かが起きるのかもしれないという不安に直面させられる時代になってゆく。
テレビや漫画でも超能力や宇宙人などもブームとなり、不安の裏返しに、二十一世紀という新しい時代には今まで見たことのない何かがあるはずだ・・・というような、根拠のない明るい未来や希望を漠然と信じていた時代。
それが一転、オカルトや超能力を宗教にとりこんだ歪な存在の登場によって、不安は漠然としたものではなく現実の身近なものとなってしまい、オカルトや超能力もすべて強く否定され忌避されるようなものとなってゆく。
そう、オウム真理教というものの存在ですよね。

正確な実数は知りませんが、やっぱりオウム関連以降、主人公たちが超能力に目覚めるという設定の話は、サブカルチャー全般の中から急速に数を減らしていったような気がしています。
最近のラノベやアニメなどでも、理由も根拠もよくわからない原始的な力による超能力というのは滅多に見かけません。
超能力的なものにもたいていは科学的な裏付けが説明されていたり、魔法であっても科学的な術式の組み立てが説明されている作品のほうが多いでしょう。
真の力に覚醒するとか人類を超えるとか、そういうものが科学的な理屈抜きになんとなく登場してくるのが『オカルト』だと思うわけです。
だけどそういうのは減った。
なぜなら、そういう力を信じた人たちが、終末思想の亜種を組み込んだカルト信者として社会的な大事件を引き起こしたから。
つまり、本当の1999年7の月以前にオカルトのブームはやってきていて、それがオウム事件によって一度は社会的に否定される存在となっていた。
コンピューターの2000年問題などで、まだしぶとく「コンピューターの誤作動で核戦争が起きる」とかいってた人もいた記憶がありますが、それもエセ科学の類の理屈と不安が結びついたものでしょう。
もっと得体のしれない、未知なるものの危険を世紀末と結びつけた心理というのは、おおよそ社会的には見かけなかったはずです。

『世紀末オカルト学院』を見ながらまず思ったのは、あぁこういう形ですべてネタとして扱えるほどオカルトは今の時代に力を持てていないんだなぁという感慨だった、という話です。
過ぎ去った時代を扱った作品なんだから、明確にフィクションだとわかるから、という説明もできると思います。
しかし、昔はサブカルのオカルトが妙なブームとなったり、オウム事件直後にはオカルト的なものがどんな形であれ白い目で見られて犯罪者集団の予備軍のような扱いさえあったほど。
オカルトにのめり込んで漠然とした将来不安をごまかすようなこともなくなった今だし、逆にサブカルにオカルトを扱うことが社会的に批判される余地を生み出してしまうような情勢でもなくなった。
とくにここ最近、風水や占星術、スピリチュアルなどのブームが過ぎた後の空白時代といってもいい時期だと思えるので、ほんとうに予断なく素直にアニメとして楽しめたという気がしてならないのです。
いや、たんに『不安』が『絶望』にかわっただけで、将来への不安をオカルト程度ではごまかせないほどすべてが悪化しただけだ・・・という仮説は、笑うに笑えない一面を感じさせますけどもね。


もうひとつ意外に感じたのが、この手の、美少女が主人公で社会派ではなく娯楽アニメでは珍しく、娘と父親の関係が物語の軸になっていたこと。
息子と父親というのは越えるべき存在や倒すべき宿命みたいな関係も含めてストーリーのあるたいていのアニメには登場するのですが、あるいは娘と母親が主人公の少年を見守るなどという形での登場などもままあることですが、娘と父親が明確に物語の軸に絡むというのは珍しいはず。
そこをよく考えてみると、この『世紀末オカルト学院』というのは、どのエピソードもすべてはマヤの「自分の話」につながる仕掛けがあって、それは家族の物語なんですよね。
親と子の約束や大人の事情を押しつけられる子供、家庭をかえりみない親、バラバラになってゆく中で感じる寂しさ・・・。
オカルトのドタバタをすっとばせば、これらは結構重くて普遍的、つまるところ『ごく普通の家庭の問題』を扱っているんじゃないかと気がつくわけです。

文明が亜美の言葉をつかって言った全校生に向けてのスピーチなんかも、陳腐すぎるぐらいに当たり前の話なんだけど、それは今までの文明の活躍(へたれっぷりと同義/笑)を見てきたから、あぁ最後までこうやって終わってゆくのかこのキャラは~とか思えたのです。(その後だったから、あの最強スプーンがまた一層かっこよく見えたんだろうねぇ、これが)
オカルトという派手さの裏で、すごく地味で当たり前にどこにでもあるようなことを、ちゃんとキャラの性格や事情として組み立てて最後につなげていってる。
序盤であれだけ父親(=オカルト)の存在を否定していたマヤが、オカルトとの距離を取り戻して最後には父親が生きていたこと、そして会えることを素直に喜べるようにまで変化していました。
1クールという短さの制約からかマヤにとっての『母親』がすっぱり削られていたので、マヤの家族の問題が解決する物語である・・・とまでは言い切れないと思いますが、娘と父親の問題が解決する過程を描いた作品であるとは言えるでしょう。
そして、ここが重要だと思うのですが、「娘と父親の問題が解決(和解)すること=ノストラダムスの鍵の破壊」ではないんですよね。
共通の敵と力を合わせて戦ってゆく中で衝突もし誤解もありながら、最後にはお互いを理解してゆく。
そんな展開こそありきたりの陳腐なものになりかねないものですが、そこはちゃんと回避してあるという。
オカルト事件の派手さやバカバカしさを見ているうちに自然とマヤの気持ちや考えなどが理解できてゆき、問題の核心はオカルトそのものにはないと見えてくるというわけでしょ。
ほんと、話の構成はよく練りに練られたものだという気がします。
オリジナル作品はこうでなくちゃ。(笑)
加えていらん深読みをすれば、マヤは父親との関係をとりもどす一方で、ノストラダムスの鍵を生み出す原因となったのは文明が母親からの自立をする行動をとったからなわけで、娘と父、息子と母の関係を非常に対比的に扱っているようにも感じられます。
それは最後の食卓の風景にも通じるもので、結婚後の話だと想定するのならば、夫との母親とは自立的であっても妻の父親とは頻繁なつながりがあるという、なんだかある種の家庭円満の秘訣みたいな。(爆笑)

まぁ、そんなに深く考えて記号的に何かを読み解こうとして見なくても、普通に楽しんでみることのできるアニメでもあると思います。
そこにオカルトがあると信じればそれはオカルトになる、というのはオカルトの本質だと思います。
宇宙人はいるけど幽霊はいないとか、幽霊はいるけど鬼はいないとか、魔法は信じないけど風水は信じるとか、などなど。
その意味においては、誰の中にもオカルトはある、とも言えるでしょう。
むしろ、人である限りオカルトを全否定している人のほうがウソくさい。
根拠のない都市伝説や怪しげな陰謀説なんかを真面目腐って言い立てるよりは、UFOやチュパカプラなんかを熱く語る人のほうが害がないとも考えることができる。
二十一世紀という『新しい時代』の実感さえ薄れた今だからこそ、オカルトで世紀末かよ!ってツッコミを入れながら楽しく見るのも、なんか普通に健全。
あと、作中に登場している飲み物(缶ジュースの種類とかね)や小道具など、細かなところをチェックしてあの当時の社会風俗を思い出してみるのも一興。
スマイルのバッチの表情が変わっているとか、言われないとわからないような細かな遊び心もありますし。

贅沢を一つ言えば、JKを主人公にした外伝がせめて一話あればなぁ・・・。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Oct 16, 2010 11:44:45 PM
コメント(0) | コメントを書く
[アニメ・マンガ・ラノベの感想など] カテゴリの最新記事


Comments

コメントに書き込みはありません。

Calendar

Archives

・Jun , 2024
・May , 2024
・Apr , 2024

Favorite Blog

まだ登録されていません

Free Space

設定されていません。

© Rakuten Group, Inc.