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カテゴリ:教育基本法改訂・三浦朱門・学力テスト
世田谷区で小1に論語の暗唱・品川区では、小3・4年の漢字、普通の小学校では200字をを300字に増やして指導などがされています。 このことについては何度も書き、皆様からの健全なご意見を戴きました。 今回は、このことに関する、僕らの研究会のまとめ的文章を『教育基本法改悪と国語教育の課題』で書きましたので、その抜粋を載せます。ご意見をください。 まとめの文章は、皆様からの健全な意見とほとんど重なっています。 人気blogランキングへ 左記の2つのマークをクリックして応援して くださるとうれしいです。
6 「神話」の登場
さらに,この総則第1の2では(学習指導要領の)「道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,......」と改悪教育基本法の「精神」を強調している. それにつづいて,原案の段階では「伝統と文化を継承し」としていたものを変更し,「伝統と文化を尊重し」とのべ,さらに原案にはなかった「それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し」という文言をつけくわえて,学習指導要領の告示におよんでいる. まさに,むきだしの「愛国心」をこどもたちに強要する国家主義が全面化している. 「伝統と文化の尊重」の強調は,国語においていちじるしい. 今回の学習指導要領の改訂では,小学校・中学校すべての学年に,〔伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項〕がおかれた. 小学校1・2年生では,「昔話や神話・伝承」がとりあげられ, 3・4年生では,「易しい文語調の短歌や俳句について...音読や暗唱」,「長い間使われてきたことわざや慣用句,故事成語などの意味を知り,使うこと」が, 5・6年生では,「親しみやすい古文や漢文,近代以降の文語調の文章について内容の大体を知り,音読すること」,「古典について解説した文章を読み,昔の人のものの見方や感じ方を知ること」などが一気にあつかわれることとなった. これらは,教育基本法改悪へのうごきをささえた「日本人的な感性をそだてることがだいじだ.」という風潮にもとづいている. その典型である2004年2月3日の「文化審議会答申」がのべた「音読や暗唱を重視して,それにふさわしい文章を小学校段階から積極的に入れていくことを考えるべきである. 特に日本の文化として,これまで大切にされ継承されてきた古典については,日本語の美しい表現やリズムを身に付ける上でも音読や暗唱にふさわしいものであり,情緒力を身に付け,豊かな人間性を形成する上でも重要なものである. 現在以上に,古典に触れることのできるような授業の在り方が望まれる.」を具現化したものである. 【参照】田村利樹「斉藤孝『理想の国語教科書』批判」 児童言語研究会機関誌『国語の授業』一光社 No.175 2003年4月号~No.176 2003年6月号
もとより,伝統と文化の尊重は,現代にいきるものにとり,歴史をとらえかえすためにも,未来をきりひらくためにも,必要なことである. だが,学習指導要領がいう「伝統と文化の尊重」なるものは,戦前の「教育勅語体制」への回帰をめざすものであり問題がある. 東京都世田谷区では,2007年4月から教育特区として「教科・日本語」の授業が本格実施されている. 独自の副読本を作成し,たとえば小学校1年のこどもたちに対して,「日本語の響きやリズムを楽しもう」という単元を編成し,俳句や短歌,漢詩などの音読や暗唱がすすめられている.いわば,改訂学習指導要領の先取りである. 小学校1年生に対する実践報告をみると,「俳句の学習では,五七五のリズムを楽しみ,季語をもちいて俳句をつくることができた」という.また,「難しい漢詩の学習でもリズムよく音読したり,意味を考えたりした」という. そこではどんな作品があつかわれるか,一例をしめすと,つぎのようなものだ.入学まもない5月の教室では,漢詩「尋胡隠君」「絶句」がとびかった. 10月から11月にかけては,「論語」がよまれた. 「子曰く,過ちて改めざる,是れを,過ちと謂う」「学びて時に之を習う,亦た,説ばしからず乎...」「人,遠き慮り,無ければ...」.学習の手だてとしては,「絵やふきだしを活用して,場面やイメージをつかみやすく」したり, 「教師が朗読した後,そのリズムを真似しながらこどもが繰り返して読み,意味をおよそ理解した上で,さらに復唱方式を取り入れて練習することで,論語が心にしみこむと考える」とある. 要するに,伝統的な漢文の素読であり,教育勅語の暗唱につらなるものだ. 「論語」自体は,言文一致をこころみた世界史をきざむ古典中の古典である. 儒学そのものもすぐれて革新的なものであり,現代人がまなぶ意義は,はかりしれない.だからといって,小学生に指導する必要はない. 学年段階におうじた,もっと必要としているだいじな指導事項があるからだ. しかも,その儒学を「儒教道徳」としてあつかった近世から近代にかけての日本のあやまちに対する反省のかけらもなく,こどもたちのまえに提示してしまうのは,それこそおおきなあやまちである. 「子曰く,過ちて改めざる,是れを,過ちと謂う」という孔子のことばは,そのまま,世田谷の教育委員会になげかえされるべきものである. 文章語を口語化するとりくみは,永続的なものだ.書き手ひとりひとりのたえまぬ努力がもとめられる.また,ことばの教育の役目めもここにある. かん字の学習の本質は,語イ指導にあるのだが,口語による文章語のただしいにない手をそだてることが,ことばの教育の目標のひとつである. また,文法を整備することも,文章語の口語化にとって,さけられないことである.当然それは,ことばの教育の重要な分野でもある.
こうした観点からみると,小学生に文語文をまなばせるようなことをする以前に,きちんとした口語文をよみかきできるようにする学習が必要だということがわかる. 『論語』も『源氏物語』も人類の歴史にのこるすばらしい古典であり,後世にしっかりとつたえたいものである.つくられたときは,いずれもすぐれて口語文であったが,時間の経過とともに今日では文語文となっている. 古典学習の今日的意義は,ことばをてがかりに作品のおもしろさ・真実性・表現をよむことにある.そして,歴史性を媒介に,現在を相対化し,現実認識をふかめることにある. 学習の主体は,すくなくともそういった認識・思考がはたらく,中学生の高学年や高校生の段階となる.小学生にとっては,もっとたいせつなことばの学習の対象がある. それをないがしろにしてしまうばかりか,「伝統の尊重」まで押しつけてくるような古典指導であってはならない。
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