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我的勝手日記 ~フツーのサラリーマンが思うこと~

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戯言

2005/06/15
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カテゴリ:戯言
 久々に0時近くまで仕事をする。が、振り返ってみると、頗る生産性が低い。その第1の要因は「最初の一歩」だ。手段や到達点が明確に見える仕事には手が付け易い。ところが手段は兎も角、到達すべき最終形が曖昧だったり、手段は明確ながら夥しい工数が予測されたり、見たくない最終形が予測されると、なかなか一歩が踏み出せなかったりする。

 しかし、いずれは踏み出さなければいけないので、早くその一歩を踏み出した方が良いに決まっている。不完全でも良いのだ。やりながら軌道修正していくしかない。それが実行出来る場合と、そうでない場合があるのが、我の安定性に欠けサラリーマンに向いていない弱みだ。だからこそ、イチローやマツイに畏敬の念を抱くのである。いや失礼、全く比較の対象にはならない。

 22時頃、今日はもう帰ろうか思っていたところに、Kさんから電話が入り平然と無理を言われる。負けじと平然とそれを受ける。それを片付けつつ、俄かにエンジンがかかる。そのままエンジンをかけっぱなしにすると、完徹してしまうのがまた我の弱みである。そんな生活は長くは続かないからだ。と、いう訳でもないが、0時前には帰宅する。

 才能は無いが、タイプ的には芸術家らしい。独り孤独に集中、熱中してしまう性質だ。誰しも「最初の一歩」が踏み出せない事はあるだろうし、孤独になりたい時もありだろう。我の場合は、そのバランスが、いささか偏っているようだ。






Last updated  2005/06/16 12:53:31 AM
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2005/06/14
カテゴリ:戯言
 様々な事象や他人の言動に、ムカついたり腹を立てる。勿論、時には自分にも。まだまだ、若いなぁ~と思う。とは言っても、一生ムカついたり怒ったりするのだろう。ムカつくのは、明らかな他人の非常識や不合理もある。だが、極論すれば理論的には、それを理解し許し受け入れられれば、ムカつくことは無い筈だ。

 バランスが重要だ。あまり全てを受け入れすぎても、自分のアイデンティティーが保ちづらくなったり、抱え込み過ぎて首が回らなくなったりする。時として、優しさは残酷さにも直結もする。相手の立場や気持ちを慮り過ぎると、自分のバッファを狭めるばかりか、相手の気付きのチャンスを逸する事にもつながりかねない。

 しかし!なんと世の中には、鈍感でアホでデリカシーの無い人が多いことか。そして、我自身も気付かぬ内に、その集合に属していないか?常に留意しておこう。













Last updated  2005/06/14 11:44:21 PM
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2005/06/03
カテゴリ:戯言
 年をとるにつれ、良く悪くも物事に動じなくなってくる。自我は確立してくるし、感性は鈍る方向だし、自分を正当化したり騙したりする知恵にも長けてくる。若かりし頃、動じた時は、ひたすらに身体を鍛えたものだ。それで自分は強い人間だと、騙す事が可能だった。ところが流石に「お馬鹿な」サラリーマンも、そんな所作で自分を騙せせる程、アホではない。

 今日は久々に、精神的に堪える出来事があった。仕事上の話なのでここで明らかには出来ない。いつの日か、この日記を読んだ時に「あの時はこんな風に感じて、考えていたのだな」と思い出せれば良い。我的勝手日記たる所以だ。

 今日の出来事は、決して「想定の範囲外」ではない。しかし、今日の出来事がここ2年間の経緯や背景から、大きな意味を持つであろう事が我に重く圧し掛かるのだ。そんな訳で、堪えているのだが、以外に落ち着いてもいる。ジタバタしてもしょーがない、現実をあるがままに受け止めて、今自分が出来る事をひとつひとつクリアしていくしかない。

 「他人と過去は変えられない」のである。「自分と未来は変えられる」が、これも決して容易ではない。でも、他人と過去を自分の意志で変える事は、ほぼ100%不可能だが、自分と未来を変えられる確率は、もっと良いだろう。悪い時には、悪い事が続く傾向があるので、注意する。それにしても、永いトンネルだなぁ。






Last updated  2005/06/03 09:48:29 PM
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2005/05/24
カテゴリ:戯言
 昨夜は仕事で遅くなり、5:30に帰宅した。17:30ではなく5:30、つまり昨夜ではなく今朝である。早朝の清々しい空気を胸一杯に吸い込みながら、脂ギッシュな顔をぶら下げて帰宅したのだ。帰宅後3分後には、布団の中にいた。1.5H熟睡しようという目論見に他ならない。

 しかし、このようなケースですんなりと熟睡出来る事が少ないのは、これまでの経験上、わかっていた。そして案の定、寝ているのか?夢をみているのか?覚醒して考え事をしてるのか?わからない睡眠状態となる。

 疲れた心身は、ONからOFFに切り替える瞬発力も残っていない。あと1Hちょいで起きなければならないという緊張感も、拭い去る事が出来ない。結局7時過ぎには起床、実際には寝ている筈なのだが、「あー寝たぁー」って満足感は得られない。

 心技体という。これは重要な順番で表現しているのだろうか?中途半端な文学青年崩れの我は、今更広辞苑をひこうともしない。若い頃は、逆に体技心だったようだ。心技体と思っているのは本人ばかり、体力に任せて突っ走る、ただの暴れ馬だったと今にして振り返る。

 順番よりも、「心」と「体」のバランスを保つ事こそ、重要だろう。どちらか一方が突出すると、もう一方がそれに振り回される。また常に安定してバランスが取れている事で、初めて「技」がキレる。と、口で言うは易し。40にして惑う事を惑わず、と公言して憚らない我には、一生かかっても実現出来ないかもしれない難題だ。

 うむ、日記の前半と後半に、つながりが希薄だ。やはり頭が回っていない。ので、速やかに寝ようと思う。






Last updated  2005/05/24 09:52:45 PM
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2005/04/27
カテゴリ:戯言
 24時過ぎまで仕事をする。遅くまで仕事をするのは、見積や提案その他の資料作成、もしくはトラブル対応の何れかに属するケースが殆どだ。見積や提案は前向きな内容と言えるし、トラブルは後ろ向きと言えるかもしれない。しかし、その時の気持ちは必ずしも一致しないものである。見積や提案も気持ちのノラない義務感やバカな上司の命令によるケースもある。一方、トラブル対応でも「この客(人)の為に何とかするぞ」という前向きな気持ち、「これを機会に距離感を縮めよう」とする営業のスケベ心等、様々だ。

 概して、内容の如何に関わらず、前向きな気持ちで臨んだ仕事の方が、短期的にはともかく、少なくとも長期的に見れば良い結果を生んだり、後々本人の糧となるのは言うまでも無い。しかし、この「気持ち」というヤツは自分の意志でコントロール出来るのもではない。もし、コントロール出来たとしたら、それは単なる本人の思い込みである事を警戒しなければいけない。

 さて、今日の我の仕事は資料作成。気持ちのベクトルは、微妙な境界線にあったが、どちらかと言えば、前向きに属する。21時過ぎに止めようかと思った。目の前の課題が、我の能力や想像力の範囲を超えていて、なかなか一歩が踏み出せなかったからだ。一歩を踏み出してからは、時間を忘れる。しかし、結局は自分の求めている形の半分にも至らないまま、仕事を止める。

 何故か?ただ単純に腹が減ったし、瞬間風速で頑張るよりも、継続することの方が遥かに難しいし、価値があるからだ。若かりし頃は、完徹なんぞ何とも思わず、しょっちゅうやっていたものだ。継続が肝心なんてわかったような事を言っているが、ただ単にこの2年間の間での2度の入院で年をとっただけでは?と訝る我もいるのである。






Last updated  2005/04/28 01:59:56 AM
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2005/04/22
カテゴリ:戯言
 もっと、イイカゲンになりたいと思う。
 今日も呑み。愉快で気持ちのいい人だった。例によって、色々と感ずるところがある。今日も「なるほど」と思える事が2つあった。視点と加減。

 イイカゲンは難しい。「いいかげん」ではなく「良い加減」のこと。いいかげんになり過ぎても色々と問題を生ずるのだろうが、良い加減の第一歩は、いいかげんのような気がする。ハンドルの遊びが必要だ。加減が硬くなって視野も狭くなった時に「遊び」は一番少なくなる。加減が柔軟で視野も広いと、充分に必要な「遊び」があって、ダイナミックに考えたり行動したり出来る。

 と、口で言うのは簡単だ。もう少しいいかげんいなってもいいかな、くらいなら良いが、もっといいかげんにならねば、なんて思った時点で良い加減ではない。我を知っている人は、お前これ以上イイカゲンになったら救いようが無い、と思うかもしれない。でも、それは我を知っていない人だ。イイカゲンは奥が深い。






Last updated  2005/04/22 11:56:16 PM
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2005/04/21
カテゴリ:戯言
 今日は呑み会だった。酒を呑み、会話することで色々と感ずることがある。それは他者に対しての認識が変わるきっかけとなる新たな発見だったり、自分自身への問いかけにつながる事柄だったり、ただ単に楽しかったり大笑いしたりする。

 我はどちらかと言うと、ある意味閉鎖的な部類だと認識している。多くの人と出会い、会話するのは大好きだが、呑み会においては、サシやせいぜい3~4人を好む傾向がある。その方が集中して濃いぃー会話がしやすい。自分の不器用さもある。マルチタスクよりは、シングルタスク型人間に属する。

 その他、色々と思う事、考える事は当然あるのだが、またの機会にしよう。それを表現しようとすると、文学の領域に入っていきそうで大変なのだ。






Last updated  2005/04/22 01:36:38 AM
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2005/04/20
カテゴリ:戯言
 21時になり、そろそろ仕事を切り上げて帰宅しようと決意する。仕事は全く終わっていない。が、明日も明後日も呑み会、昨日も呑み会だった為、妻と夕食を共にしてやりたいと思ったのだ。会社を出て通勤徒歩3分でも、帰るコールをする。電話が切れて直後に妻からメールが着た。しまった、今晩は妻が所属するコーラスグループの夜間練習で不在だったのだ。

 あーあ、まだ仕事してれば良かったと思うも、元々非勤勉な我はそのまま帰宅してしまう。もうひとつの帰宅決意理由、MLBハイライトを見たいが為だ。野茂がヤンキース打線を抑えて、日米通算198勝目を上げた。内容を見ると決して悪くはないのだが、味方の守備に助けられた場面や、本来ヒットになっている筈の打球が併殺打となったりラッキーな場面もあった。

 ここで感じるのである。ラッキーも味方の援護も、目に見えない野茂の力が作用しているかの如くに。勿論これは、我の勝手な思い込みかもしれない。でも観る者にそう思わせる野茂には、やはり何らかの力があるのだと思う。それは、野茂を慕うデビルレイズ若手選手の強い信頼感だったり、言葉では説明の出来ない空気があるのだろうか。「コイツの為だったら、何が何でもなんとかしてやる」という動機付けは、時として自分自身の為以上の強い気持ちを生む。

 自分を振り返る。果たして今まで、どれだけの人の気持ちを動かしたのだろうか。勿論、我にだって他人を強く動かした事はあると自負はしている。だが、プラスベクトルの時もあればマイナスベクトルの時もある。最近はマイナスが顕著だなぁ~。こんな時もあるさ、くらいの気構えでいようと思う。自分にも他人にも逃げ道は必要、追い詰め過ぎは禁物だ。「MAJOR大好き!」カテゴで書き始めたが「戯言」カテゴに変更、更にタイトルも「HIDEO NOMO」から「オーラ」に変更して、今日の日記を終了する。






Last updated  2005/04/20 10:45:13 PM
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2005/04/05
カテゴリ:戯言
 会社に復帰して、早1ヶ月が経過した。知識面での浦島太郎状態や、思考面での瞬発力は回復してきたように思う。今日は、今回のブランクが自分にもたらしたと思われる効用について、綴ってみる。

 それは、感情の起伏に支配される前に、一歩引いて自分や他者をみつめることが、ほんの少しかもしれないが出来るようになったかな、と感じることである。こうして言葉にすれば、簡単そうだ。でも、これを常に実践出来る人は、少ないのではないだろうか。少なくとも、今までの我は、常に実践出来ていたとは言えない。勿論、感情を顕して相手に伝えることも必要だが、そればかりでは子供の世界と何ら変わりない。

 人には、それぞれの「思い」=「ものさし」がある。会社であれば、上司や部下に取引先、プライベートでは友人や恋人や配偶者、ありとあらゆる他者や更に事象に対してまで、「こうあって欲しい」という期待や「こうあるべきだ」といった倫理観を持っている。でも、他者は思い通りには動かない。そういうものだ、とわかっていても「何で?」という疑問形から、やがては苛立ちやストレスとなっていく。

 「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」という言葉の通り、自分の「思い」を単純に相手に求めつづけても、状況は変わらない。「思い」に反した事態が、やがては相手に対する色眼鏡を形成し、相手の話を聞いているつもりが、実は頭の中では次なる反論や粗探しに回転していたりする。すると相手も、その空気を敏感に察して、貝になったり、本音を言わなくなる。このような負のサイクルに入ってしまうと、その修正には、時間やきっかけが必要となる。

 「思い」は絶対に必要だ。でもそれは、有効に作用する時もあれば、逆に自分自身を苦しめ、行動を制約する呪縛ともなる。他者には他者の「思い」があって、それに基づいた行動や言動がある筈。自分の「思い」に反した他者の行動や言動に接した時、他者の「思い」を推しはかり「何故だろう」とか「そうさせている一因が自分側にないか」等、謙虚に考えたい。他者が変わるのは、他者自身の気付きや動機付けに因る。自分が他者のストレッサーになっている場合は、それに気付き自分自身で修正しなければいけない。

 以上、綴ってみたことは至極当たり前のことだし、今までも頭ではわかっているつもりだった。でも、「頭でわかっているつもり」と「自分の自然な気持ち」には、温度差があって同期が取れていなかったようだ。こんなことを感じることが出来たのも、2ヶ月の自宅療養により、連続した日々が一旦リセットされ、他人のように自分をみる機会に恵まれた為だと感じる。また、連続した日々の中で、今の気持ちを忘れてしまうかもしれない。そんな時に、今日の日記を読み返したいと思う。






Last updated  2005/04/05 08:45:59 PM
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2005/03/19
カテゴリ:戯言
 「ツイないね」。最近よく言われた言葉だ。「今度はどこ?」とも言われた。実は手術~入院の長期欠勤が2年連続なのだ。即刻クビにならなかっただけでもラッキーかも。今年度は、今回の骨折。昨年度は永年付き合ってきた腰痛が爆発し、腰椎椎間板ヘルニアとなり手術したのだった。そう、この日記では初公開だったかな?

 腰痛とは10年来のつきあい。東京時代は、レントゲンにて腰椎分離症と診断されていた。北海道に転勤となり生活環境は激変、車が中心で歩かない、おまけに食は最高、よって体重は増える。腰に悪い要素ばかり。MRIを撮った時には既に遅し。今思えば、就職前の過激なトレーニングと、就職後のトレーニングサボリが腰痛の大きな一因となっていると思われる。

 タラレバを言ったらキリがないけれど、これらの腰に悪い要素に対して、何らかの対策があった筈。今回の骨折はと言えば、生粋の北海道人だって、滑る時は滑る。でもアルコールの入った後の出来事だし不注意の責は免れない。つまり、2年度連続での怪我入院は自業自得である。でも、それらの自己責任を差し引いても、「ツイてないなぁっ」て思いも正直少しは残るが。

 「運も実力の内」という。この言葉の解釈に基づいて、逆の側面から表現すると「ツイてない(運が無い)のも、実力の内」という事になるだろう。いくら弁明しようが、どんな事情があろうが、2年連続で長期欠勤した事実だけが厳然として残るのである。「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」今は、この思いだけである。

 そんな事を思っていた今日、車のタイヤがパンクした。運転歴21年にして初である。パンクはすぐに気付かない。後で聞くと、特にスタッドレスタイヤだと気付きづらいらしい。タイヤに刺さった釘は、交差点を曲がった時にホイールから外れたタイヤのアチコチに傷をつけ、タイヤは再生不能となった。3連休の初日に。。。

 やっぱり、我はツイてないか。。で、考え直す。21年間パンクを経験しなかったのは、運がいいのでは。パンク後、気付かずに高速走行して、ホイールからタイヤが外れたら、大事故につながっていたのではないか。それを考えればツイてるぞ、と。ちょっとコジツケっぽい感じも否めないが、自分で自分に「運が無い」と烙印を押してしまったら、本当に運から見放されるだろう。

 だからコジツケでも良い、大事なのは気持ちの問題だ、と決めつける。但し、この気持ちが根拠無く暴走すると、空回りとか一人相撲と言われる現象を生んでしまうので、これはこれで注意が必要だ。束の間でも、心と身体の平穏が訪れる事を期待するが、まだしばらく先になりそうだ、と思っておいた方が良さそうな今日この頃なのであった。






Last updated  2005/03/19 09:51:59 PM
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