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カテゴリ:YUTAのこと
昨日、熱海から帰ってきたらなんだかくしゃみ、鼻水がひどい熱海でなんか変なものくっつけてきちゃったのかなあ??
今朝は先日のいとこのおみやげである、コーヒーを淹れた。とても香りがよく後味がすっきり!!何杯でも飲めちゃいそうな味です。 朝食を食べ、家事をやった後(母も掃除してくれた)両親が帰宅するので、途中まで送っていった。母は来週友達と会うのでまた来るらしい(笑) 100円ショップで「花瓶」「ビー玉」「フォトフレーム」「ラベンダーのお香」などを買い込む。その後、スーパーで少々買いだし。 帰宅して一人になってしみじみ思う。そう1年前。YUTAの再発が分かって主治医から「造血幹細胞移植」が必要です。といわれた。でも、ここでは小児は移植が出来ないので、転院の必要がある、と告げられた。 迷っている暇は無い。医師をしている友人にも情報を教えてほしいと頼む。結果、主治医が薦める系列病院に転院を決めた。 見学と先生との面談に行ったのが金曜日、で、転院したのが翌月曜日。 転院の前日の夜に主治医のA先生と看護師さん(男子。鉄道にすごく詳しくてYUTAと話があった。仲良しのナースさん)からYUTAに転院の話をしてもらった。 「YUTAくんはもっと元気になるために、違う病院にお引越しするんだよ。ここでは一人のお部屋だけど、新しい病院はお友達とたくさん遊べるんだよ。行ってみる??」と話すと理解したのかすぐに「うん。行くよ」と言った。 わたしたち両親はほっとして、みんなでプラレールで遊んだりトミカを走らせたり遅くまでわいわいとしていた。先生も看護師さんも一緒に。 翌日、病室を覗くと朝食が食べかけのままおいてあった。私たちを見つけると「早く、お引越ししようよー」と待ちきれない様子。 プレイルームで保育士さんと遊んだ。少し大きいお姉ちゃんがYUTAに折り紙で「腕時計」を作ってくれた。YUTAはすごく喜んでちゃんとはめていた。 10時過ぎ、みんなに見送ってもらって病棟を後にする。YUTAにとってはそれが本当に最後の病棟になるなんてその時は少しも思わなかった。 元気になって遊びに来るからねー!!って思っていた。 車で約1時間。YUTAはしばらくすると寝てしまった。病院についてだっこで病棟に上がる。泣いちゃうかなと心配だったが、涙はない。 病棟のナースステーションについた。 偶然、研修でYUTAに1週間ついてくれた看護師さんがいたのだ。唯一知ってる顔。わたしもYUTAもほっとする。YUTAは覚えてたのかは定かではないんだけど。 看護師さんが「お部屋に行って見る?」と聞くと「うん!!」とすごく元気に走っていった。 「わーい、ここテレルームだー(テレルームとはYUTA語で「プレイルーム」のこと)」大部屋なんだけど「おもちゃ」「本」が置いてある。 この部屋は基本的に血液・腫瘍疾患の乳幼児が入る部屋。 前の病院では血液・腫瘍疾患がYUTAだけで、他は基本的に急性期の疾患が主だったのでYUTAは個室に入りっぱなし。友達との接触は皆無だった。ここでは血液・腫瘍が当たり前なのでした。 本当に、親はどうなるかと心配だったけど、あっという間に病室に慣れ、看護師さんともすぐ仲良しになり、すごく拍子抜けだった。 両方の祖父母も集合し、大部屋が空いていたので追い出されなかったけどYUTA家ご一行様ー!!状態でした。 1年前はここで移植して絶対元気になって退院してやる!!と思ってたんだよなー。まさかなあ、天使になるとはなあ・・・・ 想定外デス。 朝、風呂掃除しながらそう考えていたら、不覚にも涙がうるうる・・・鼻水がずーっと出てるので鼻をすすっていても、ばれなかったと思うけど。 四十九日があけたので、お香典返しがぼちぼち届いている。親戚、友人から電話、メールが入る。その記念すべき日にちょうど届いたんだ。なんだか不思議なめぐり合わせです。 今日の夕飯 なすとピーマンの味噌炒め、うどんチャンプルー、もやしとキャベツの味噌汁、ごはん だんなは今日も遅かったので一人で食べましたー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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