学生時代 退学偏3回目の停学はそれはそれは悔しいものだった。他の停学も勿論悔しかったけれど(なんせ無実の罪だからね)、 何故なら最後の停学処分受けた時は、 修学旅行にまで影響があった。 我が校は1貫教育の為か、 通常の、中学で1回高校で1回、ではなく、 高1の時にまとめて奈良・京都・長崎を1週間程かけて行くという形をとられていた。 その時から旅行好きな私は結構楽しみにしていて、 ましてや班もいいメンバーで決めて、新幹線の席まで決めてあった程。 その楽しみをヒステリック教師らによって奪われたのさ。 コレばっかりは未だに納得いかない。 その停学は無期限になっていたんだけど、 その前の時もやっぱり無期で確かそれでも10日間位だったかな? だから今回もその位で復帰の予定だった。 ある朝起きてリビングに行くと父上が 「Minnie、父上(我が家ではそう呼ぶのさ)学校辞めて来ちゃった」 っていうじゃありませんか?! 耳を疑ったね。 確認の為もう1度聞きなおすと 「あんたあの学校と相性良くない、と、父上今更だけど思ってさ」 って、あたしまだ16歳なんですけど…この年でプー太郎? 動揺を隠せない私に 「チョイト、海外行って来な、今オーストラリアの方面で準備してるから。再来月位にはいけるんじゃないかな?」 だって!ビックリ(*0*)! 学校辞めちゃった上に島流しもとい大陸流しじゃん!!しかも再来月ーー?! 「そんな感じだからロッカーも机の中の荷物も教科書とかゴミだけしかなかったからいらないかな~?と思って」 と言われ、 出席番号38番の机とロッカーの中身は、 忘れ物した子らが時々焦って探し物をしに来る、 皆にとってはありがた~い持ち主のない机とロッカーと化したらしい。 そんなこんなでオーストラリア留学という機会が退学と共に訪れたのでありました。 ジャンル別一覧
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