言葉について・・・「神との対話」その1
<今日の「いいとこどり!」・・・こんな事書いてます>・言葉について・・・ありがとうございますッ!いいとこどりです。「神との対話―宇宙をみつける自分をみつける」 ニール・ドナルド ウォルシュ (著), 吉田 利子 (翻訳) を読み返しています。最初に読んだときに、あまりの衝撃から、「いいとこどり!」できなかった本です。正直に言いますと、いまでもうまくできるか自信はありません。ただ、少しずつでも「いいとこどり!」することが、本書の理解になり、自分自身への理解につながるのかなと思っております。週1回ペースで、できる限りつづけていきます。(応援してください☆)今日の「いいとこどり!」この本では、著者が神に宛てて怒りをこめた手紙を書いたことから、筆談によって神との対話をはじめています。******以下引用***********************わたしはすべての者に、つねに語りかけている。問題は、だれに語りかけるかではなく、だれが聞こうとするか、ではないか?「語る」ではなく、「コミュニケートする」と言うことにしよう。神とのコミュニケーションは、言葉よりもすぐれた、言葉よりずっと豊かで正確なものだからだ。言葉で語り合おうとすると、とたんに言葉の持つ制約にしばられることになる。いちばんの多いのは、感情を通じたコミュニケーションだ。感情は、魂の言語だ。何かについて、自分にとっての真実を知りたいと思ったときには、自分がどう感じるかを探ってみればいい。感情というものは、なかなか見つからない。自覚するのはさらにむずかしい。だが、最も深い感情のなかに、最も高い真実が隠されている。要はこの感情をつかむことだ。コミュニケーションの手段に思考も使う。思考を通じたコミュニケーションには、イメージや画像が使われる。感情と思考のほかにもうひとつ、経験という、偉大なコミュニケーション手段がある。感情と思考と経験のすべてが失敗したとき、最後に言葉が使われる。言葉はじつは、最も非効率的なコミュニケーション手段だ。もっと曲解されやすいし、誤解されやすい。言葉はただの音にすぎない。あなたがたは神の言葉ばかりを重視し、経験をないがしろにしている。わたしのメッセージはつねに、あなたの最高の考え、最もくもりのない言葉、最も偉大な感情である。最高の考えには必ず喜びがある。くもりのない言葉には真実が含まれている。最も偉大な感情、それは愛である。自分の感情に耳をすますことだ。言葉は真実の伝達手段として、いちばんあてにならない。******引用ここまで*********************深いですね。。。以前に紹介した、「生き方」人間として一番大切なこと 稲盛 和夫 (著) サンマーク出版によると、人間の心の多重構造は、(外側から)1,知性 後天的に身に付けた知識や論理2,感性 五感や感情などの精神作用をつかさどる心3,本能 肉体を維持するための欲望など4,魂 真我が現世での経験や業をまとったもの5,真我 心の中心にあって核をなすもの。真・善・美に満ちているであるという。感情は魂の言語・・・ということは、心の奥からわき上がってくるものですね。その最も深い感情のなかに、最も高い真実が隠されている・・・ということは、「真我」のことになるわけですね。感情を通じたコミュニケーションは、心の奥の方とのやり取りですから、きっと通じ合えるのでしょうね。。。言葉は真実の伝達手段として、いちばんあてにならない。この言葉も納得できます。言葉はその人によって、また話し方(書き方)によって、微妙に意味を変えますからね。たとえば、「あなたのことが好きです」と言うのに、真剣にはっきりというのと、おちゃらけながら、語尾を上げながら言うのとでは、受け手の反応はぜんぜん違いますよね。「あなたのことが好きです」このように、強調拡大文字にするだけでも、感じが違ってきませんか?言葉は真実の伝達手段として、いちばんあてにならない。だからこそ、大事に言葉を選んで、相手に正しく伝わるようにしなければなりませんね。「神との対話」・・・ほんとうに含蓄のある言葉がいっぱいです。今回はここまで。。。(あと何回続くのかしら???)よかったら、感想を書いていただけると嬉しいです。コメント、トラックバック大歓迎!ヾ(^v^)kよろしくお願いいたします。