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チラシの裏の幻視録

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2008年11月22日
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カテゴリ:個人的なこと
 こんばんは。

 本日、こちらへ来ている母から聞いた話。

 親戚に某大学で学生のキャリアアドバイザーをしている教授がいるのですが、その方が「就職を前にして、自分が何をやりたいのか解らない(=就職先を自分で決められない、ということ?)大学生が増えている」と語ったとのことでした。

 うーん・・・私は以前、このブログで「自分探し」と言ふ言葉を、「自分はそこにいるのに何を探すのだ!」と批判したことがありましたが、「自分が何をやりたいのか解らない」のも同じ系統ですね。
 私も学生時代には結構「無気力」タイプの人間だったと自分では思っていますが、それでも「将来はこれをやりたい!」と思うものを持っていました。


 人生は長いですし、やりたいことが途中で変わってもそれは良いと思うのです。

 しかし、就職を控えた大学生が「自分が何をやりたいのか解らない」のはちょっとまずいなぁ・・・と思いました。


 人は皆、この世に生を享けた以上、誰かを幸せにする為に努力する義務があると思います。
 その対象は不特定多数の誰かかも知れませんし、身近な人かも知れませんし、あるいは自分自身かも知れません。
 自分は誰を幸せにしたいのか、そのために自分は何をしたいのか、すべきなのか。

 何でそんなことを自分で決められないのだらう。


 学生や子供の学力低下が叫ばれて久しいのですが、低下しているのは学力だけではないように思いました。
 若しや、学力低下の原因もこの辺にあるのでしょうか?

 こんな爺臭いことを考えるとは、古いタイプの人間なのですかね、私。
 (確かに老眼鏡は使っているけど・・・)



 なお、「大学卒業後は定職につかず、色々なアルバイトをしたいと思う」と言ふのもアリだと私は思っています。
 私が問題を感じるのは「何をしたいのかわからない」という考えです。





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最終更新日  2008年11月22日 23時53分43秒
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