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ハイネの森

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2009.02.11
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彫刻家カミーユ・クローデルを描いた作品。

ロダンの弟子であり愛人であった彼女は、
類稀なる才能があったにもかかわらず、
ロダンとの別れの後、精神に異常をきたし、
死までの30年間を精神病院で過ごすことになる。

この映画はロダンの弟子になるところから、
精神病院に強制的に入院させられる時までを描いている。

イザベル・アジャーニが演じるカミーユは、ロダン(ジェラール・ドパルデュー)に知り合う頃は狂気を感じさせるような女性ではなく、彫刻に対して一途な想いを秘めている才能ある芸術家という役作りだ。
カミーユよりもカミーユの母のほうが病的な雰囲気がある。

彫刻という同じ分野でお互いに天才である二人が惹かれあうのは必然かもしれないが、破局が待ち受けていることもまた必然の出来事なのかもしれない。

「結婚して」

この言葉が引き金になって二人は罵り合い決定的な別れが訪れる。
このシーンでは、彼女の作品「分別盛り」の“懇願する女”の試作品が効果的に使われていた。
彼女のアトリエでのシーンだが、罵り合いながらもロダンが自分の方を向いてくれることを願うカミーユの横には、彼女の作品である“懇願する女”がある。

ここから精神の歯車が狂いだす。

ロダンは彼女に注文がくるように尽力するし、彼女の才能を認める美術商は個展を開けるようにもする。が、ロダンの愛を失ったカミーユは狂気の淵に沈んで行く。

ロダンの「地獄の門」や「カレーの市民」の製作現場が出てくるが、彫刻という芸術は大勢の下働きの職人が必要で、「チーム・ロダン」という状況だ。
政府からの大きな作品の注文をこなすロダンには、芸術家としてだけではなく経営者として政治的行動も必要になるが、芸術に対して純粋なカミーユにはそれが許せない。

つくづく純粋な女というのはやっかいな生き物だと思う。

この映画を見るならカミーユに感情移入するべきだろうが、ロダンに同情してしまう。

「不徳のいたすところ」のような作品を不倫相手の小娘に作られて、オルセー美術館のテラス階に展示され世界中の人の目にさらされているロダンには、

あんた、つきあう相手を間違えたねぇ・・

と声をかけてなぐさめたくなる。


イザベル・アジャーニの顔を見ていると、

シルヴィ・ギエムに似てるよなぁ~ と。

カミーユはバレエの題材にもなりそう、と思ったらピエトラガラが「シャクンタラー」っていうのをすでに作っていたのね。
シルヴィ姐さんあたりで、「壊れていく女・カミーユ」をコンテンポラリーでやってもらうと似合うかもしれない。

ずどーん・どしーん!と重ぉーーい作品になりそうで、
観た後、立ち直れないかもしれない。

(1988年 フランス)

懇願する女
懇願する女  「分別盛り」の一部  (オルセー美術館)

カレーの市民
カレーの市民  (ロダン美術館)





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Last updated  2009.02.11 10:18:00
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