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ハイネの森

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2021.08.19
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カテゴリ:大阪府自治体巡り
河内長野市のテーマは「高野街道」

高野街道とは高野山への参詣街道。
スタート地点によって、西高野街道、下高野街道、中高野街道、東高野街道があり、西高野街道と下高野街道は大阪狭山市で合流して西高野街道1本になり、河内長野市で西・中・東の3ルートが合流し高野街道として紀見峠を越えて和歌山県の橋本へと向かう。

その高野街道の河内長野市内部分、南海高野線〈三日市町駅〉から〈河内長野駅〉までを、お散歩気分で歩いた。

南海高野線〈三日市町駅〉


駅前の雰囲気からして、高野街道を意識している感が漂っている。
歩いて楽しい道かもと、期待が高まる。

駅前ロータリーから街道筋に入るところには、


とても真面目そうな子供時代の楠木正成像がある。

河内長野には、正成の首塚がある観心寺があるので、像があるのは不思議ではないが、いかにも真面目そうな子供の姿で、700年近くかけて美化されまくっている正成さんを気の毒にも感じてしまう。「おれはそんなに真面目キャラじゃないよ」という正成さんのボヤキが聞こえてきそうなのだ。

正成像の横には、


1770年に建立されたという弘法大師常夜灯。
三日市は宿場町で、「高野江 八里 大坂江 八里」と、大坂・高野山間のちょうど中間地点にあたる。

街道沿いは風情ある建物が多め。
こちらは国登録有形文化財の八木家住宅

木綿問屋を営んだ後、酒屋さんだったお宅だ。



徒歩・自転車の地元の方をちらちらと見かける。
学校帰りの中学生もいて、生活感を感じる旧街道だ。

幕末の尊王攘夷運動集団「天誅組」が三日市宿に立ち寄ったという石碑がある。


ここに本陣「油屋」があり、天誅組が大和五条へ向かう途中に三日市宿に泊った。
天誅組のリーダーは中山忠光という公卿。中山忠光は孝明天皇の侍従で、明治天皇の生母の兄なので、明治天皇の叔父にあたる人物だ。

三日市宿に投宿した後、峠を越えて大和五条で挙兵するが、幕府軍に追い詰められて長州へ敗走し、そこで暗殺される。

中山忠光は観心寺に参拝したそうだ。「尊王攘夷」を掲げる人にとって楠木正成はシンボリックな存在だったのだろう。


高野街道は加賀田川を越える。



河内長野市指定文化財の「旧三日市交番」


1952年(昭和27年)建築で、2007年(平成19年)まで現役だった交番だ。

高野街道は旧三日市交番のすぐ北の交差点を左折する。

この辺りでは、街道は小豆色にペイントされているので迷うことなく歩ける。



国道371号を歩道橋で越える。



歩道橋の階段も小豆色になっていて、「高野街道」のプレートがはまっている。

芸が細かい。

歩道橋上は、地元小学校児童の絵で彩られていた。



歩道橋上から南の方を眺める。


あの山々を越えると、和歌山の橋本や奈良の五条だ。


371号を渡って上田町に入るとほどなく児童公園があり、そこを右折する。



児童公園の一角に高札があった。


この辺りが、大坂から来た時の三日市宿の入口だったのだろう。

高札場を過ぎると、道路の小豆色のペイントはなくなり、雰囲気は一気に郊外風に。



緑が多くなり、ホーホケキョっ! と鶯の澄んだいい声が響いている。
その声を聴いているだけで、足取り軽く歩ける。

鶯のお住まいはこちらの森か。


烏帽子形山(標高182m)にある烏帽子形八幡神社。

山に登ると、楠木正成が築城した楠木七城のひとつの烏帽子形城跡があり、よく整備されていて城跡ファンさんには評判がいい史跡のようだ。
烏帽子形山北斜面には、烏帽子山形古墳がある。

八幡神社前の街道沿いには、休憩スペースがある。


お散歩の私と違って、ガチで街道歩きする人にとっては有難い場所だろう。

奥の高台に清教学園が見える。


あのあたりも住宅開発され、河内長野には、○○台と名付けられた住宅地が多くある。
河内長野駅は南海高野線の急行停車駅で、乗れば28分で難波まで行けるから、宅地開発されるのも当たり前かもしれない。自然もあるから魅力的だが、アップダウンきつい坂は考えもの。車の運転ができる間は何の問題もないけどね。


烏帽子形山の森が過ぎると、街道は再び国道371号を越え、

だらだら~っと坂を下ると、河内長野市推しエリアの酒蔵通りへ入る。





石川の畔を右に曲がると酒蔵通り。



市が推してるだけのことはあるね。


こちらの「西條合資会社旧店舗主屋・土蔵」は国の登録有形文化財。


江戸末期の建築と文化庁のページには記されていた。

登録有形の建物の向い側も、その酒屋さん。
この造り酒屋さんは享保年間創業で、現在は「天野酒」として知られている。


天野酒は泉北タカシマヤでよく見る。



200mない短い区間だが、レトロ好きには魅力的な場所だ。




酒蔵通りを通りすぎ、緩やかな坂を上る。


三井住友銀行のロゴを見て、駅が近いことを感じた。


この日のゴールに着いた。


河内長野駅すぐ近くの、吉年邸前。
建物に覆いかぶさるような大きな木は「クスノキ」だ。


歩いた距離はたった2㎞。
でも、三日市宿、烏帽子形山前、酒蔵通りと中身の濃い街道歩きだった。


[河内長野市]
人口 102,394人 (2021年7月末現在)
面積 109.6平方キロメートル








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Last updated  2021.08.19 11:00:04
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