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カテゴリ:大阪府自治体巡り
太子町のテーマは、太子そのものの「聖徳太子」。
1956年(昭和31年)に磯長村と山田村が合併して「聖徳太子」にちなんで太子町となった町。 ここには聖徳太子のお墓があるのだ。 聖徳太子のお墓があるのは叡福寺。 推古天皇が建立し、724年に聖武天皇が伽藍を整備したと伝えられるが、あまり定かではないというのが事実のようだ。 門前の駐車場(無料)に車を停め、石段上って南大門から境内へ入る。 拝観料は無料だ。 門の扁額には「聖徳廟」とある。 南大門は1574年に焼かれたのを昭和期に再々建築されている。 1574年は天正2年。誰が焼いたって、信長よ。 叡福寺は信長に歯向かったのかな。 信長に焼かれてしまったのを、豊臣秀頼が伽藍を復興し慶長年間に再興された。 大阪をウロウロしていると、豊臣秀頼による寺社仏閣の整備はよく目にする。 私は歴史ド素人なのでよくわからないが、秀頼は淀君にコントロールされたお坊ちゃまというだけではなく、自ら色々政策を行おうとした人物ではないかと感じる。デキる子だったんじゃないかな。 境内は手入れが行き届き、すきっとしている。 あっけらかんと明るいのは、関西のお寺によくある雰囲気。 明るいのに慣れてしまっているので、他地方のお寺の空気の重さには今も慣れない。 まず金堂にお参りした。 金堂は1732年に再建されている。 重要文化財の宝塔 1652年の再建。 境内奥にあるのが聖徳太子御廟 宮内庁管轄になっている。 聖徳太子は用明天皇の皇子で皇族なので、宮内庁管轄のお墓になる。 円墳で、聖徳太子の母の穴穂部間人皇女と妃の膳部太郎女、聖徳太子の3人が埋葬されていると考えられている。 太子町には他に、敏達天皇、用明天皇、推古天皇、孝徳天皇の御陵がある。 境内から見える山は二上山。 あの山の向こうは大和の国で、飛鳥と難波を結ぶ古代の幹線道路「竹内街道」沿いの地域なので、古代史に関係するものが多いのは当たり前の事だろう。 御上がいてはるけど、ここでは「太子」。 ランドセルしょって交通安全啓蒙活動に頑張ってはるし、 マンホールも、 「和を以って貴しと為す」 この町の主役は聖徳太子なのだ。 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 叡福寺は新西国三十三ヶ所客番の札所でもある。 叡福寺 大阪府南河内郡太子町太子2146 [太子町] 人口 12,829人 (2021年9月末現在) 面積 14.17平方キロメートル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.11.03 10:19:35
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