|
カテゴリ:大阪府自治体巡り
♪野崎参りは~ 屋形船でまいろぉ
東海林太郎さんがテレビの歌番組で直立不動で歌っていたのを憶えている。 50年前くらいかな。その時で既に懐メロ感があった。 東海林太郎さんの「野崎小唄」は1935年(昭和10年)のヒット曲だ。 大東市のテーマは「野崎参り」。 野崎参りの行先は、大東市野崎にある野崎観音(慈眼寺)だ。 奈良時代の天平勝宝年間(749‐757)に、行基によって開山されたと伝わる曹洞宗のお寺。 野崎参りは毎年5月に行われる、生きとし生けるもの全てに感謝のお経を捧げる無縁経法要のことで、江戸時代元禄期前から続いている伝統行事だ。 江戸時代には、大坂の今の天満橋あたり、八軒家浜から船で川(寝屋川など)を上り野崎観音にお参りすることが盛んになった。 天満橋から直線距離で13kmくらい。 団子でも食べながらゆったりと船旅を楽しんだのだろう、 と思ったら、「舟で行く人と土手を歩く人で罵り合って言い勝てば一年の幸せを得られる」と信じられていたので、大層賑やかな舟道中だったようだ。 「一年の幸せ」をかけた舌戦、それも浪速のおっちゃんおばちゃんの戦い。 想像するだに恐ろしや。 ご利益には、縁結び、安産、子授け、開運、厄除けなど。(慈眼寺ホームページより) 特に安産祈願の方が多いと聞く。 本堂の軒下には張り子戌がたくさん吊られている。 安産祈願の時に授けられるお守りの張り子戌で、ここに吊られているのはお礼参りに来られた方の張り子戌だそう。 ここから飯盛山に登るハイキングコースがある。 この日もコースから下山してきたであろう人と出会った。 飯盛山は南北朝時代に築かれた中世最大級の山城である飯盛城があったところで、曲輪などがいい状態で残っているらしい。戦国時代の飯盛城主は三好長慶で、信長以前に五畿内統一を果たした大名だ。 JR四条畷駅近くから見た飯盛山 中世から戦国時代にかけての歴史の息吹を感じられるハイキングコースで人気があるようだ。 私は野崎観音からの景色で十分。 大阪市内のビル群がよく見える。 大東市のマンホール 舟組VS土手歩き組の舌戦が描かれている。 野崎観音 ‐慈眼寺‐ 大阪府大東市野崎2丁目7-1 [大東市] 人口 118,464人(2021年11月現在) 面積 18.27平方キロメートル キャッチフレーズ 子育てするなら大都市よりも大東市 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.01.05 12:30:52
コメント(0) | コメントを書く
[大阪府自治体巡り] カテゴリの最新記事
|