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カテゴリ:大阪府自治体巡り
茨木市のテーマは「川端康成」。
昭和の文豪、川端康成(1899‐1972)は、幼児期から茨木中学を卒業し一高入学を目指して上京するまで茨木に住んでいた。 1899年(明治32年)に大阪の天神橋筋1丁目(大阪天満宮近く)で生まれた川端康成は、医師だった父が2歳前に亡くなり、翌年に母も父と同じ病の結核で亡くなって、3歳前に両親を見送ってしまった。母亡き後は父方の祖父母と共に茨木市宿久庄に住むことになる。 JR茨木駅から北西に4㎞ほどのところにある茨木市宿久庄(しゅくのしょう)。 〈宿久庄バス停〉から宿久庄の集落に入ってほどなく、宿久庄会館横に、 「川端康成先生旧跡」の碑がある。 康成少年はここから小学校に通った。 小学校1年生の時に祖母が死去。その後はこの地で祖父との二人暮らしとなった。 尋常小学校卒業後、茨木中学校に入学。 元茨木中学の大阪府立茨木高等学校 康成くんはここへ首席で入学したそうだ。 現在府内公立高で有数の進学校。首席クラスならそりゃ東大目指すわな。(康成氏は東京帝大卒) 阪急京都線〈茨木市駅〉から北西約1㎞、JR〈茨木駅〉から北東1.4㎞の茨木市上中条2丁目に、 「茨木市立川端康成文学館」がある。 幼い頃に住んでいた地にある文学館らしく、小学校時代の習字や成績表などが展示されている。 故郷のことを書いた原稿なども。(館内写真撮影禁止) 小さなスペースだけど、氏の人生がぎゅっと凝縮された展示で、“山椒は小粒でもぴりりと辛い”な文学館だった。(入館無料) 文学館前の道の名前は、 川端通り。 文学館には「川端康成ゆかりの地ガイドマップ」もあって、茨木市の本気度が伝わってきた。 川端康成がノーベル文学賞を受賞したのは1968年で私が5歳の時なのでリアルタイムでの記憶はない。が、亡くなったのは1972年で、新聞を読み始めていたので、スポーツ新聞の見出しのような大きな字で死去の報があったのは鮮明に憶えている。「大きな字の見出しだなぁ、凄い人なんだろうな」と思った。 亡くなってもう50年になるのね。 茨木市立川端康成文学館 (火・祝翌日 休・入館無料) 茨木市上中条2丁目11‐25 [茨木市] 人口 284,126人(2022年5月31日現在) 面積 76.52平方キロメートル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.07.05 12:00:13
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