2007年2月 越前へ
2007/02/11(日) 福井 呼鳥門&竹人形 昨日は夕食時に雷鳴の轟く空模様だったが今朝は静で時々小雨が時々青空がの日本海側特有の天気となっていた。今日の初めは先ず「呼鳥門こちょうもん」(写真左下)に寄った。ここは礫岩層が日本海の荒波と強い風により長い歳月を経て侵食されてできた海食洞で自然の雄大さを感じる。次は「鉾島」へ。 鉾島は柱状節理の岩で海上に突き出たような小さな島。 真っ青な海。岩に打ち寄せる白波。 奈良の唐招提寺の東山魁夷画伯の描いた、青い海原を表現した、ふすま絵を思い出す。そこから私の希望で東尋坊へ(写真右下)。 東尋坊までは海辺の文学散歩(荒磯遊歩道)を歩いた。 高見順・三好達治・虚子・則武三男・山口誓子などなどの碑をながら一時間近く歩いたと思う。皆は東尋坊へは何度となく来たと言うが私ははじめて。暗いイメージを抱いていたけど観光客が多くてとても投身の多いところには思えなかった。 近くを散策中に 『一回の人生 もう一度考えよう』 という立て札(標識)があった。たった一度の短い一生。 今のこの時をどんな事があっても大切に上手に生きなければ。。。今この世にピリオドを打っても次に生まれたら矢張り同じ一生が待っているはず。 今、生きているということは何かこの世でしなければならない役目があるはず。。。この世をキチンと卒業しないで自ら断ち切ってしまう事は許されない。と思う。。。自殺志願の人がここを読んで思い止まってくれたら良いけど。。。 さて、東尋坊から遠くに見える「雄島」まではかなり歩いた。赤い橋を渡ると雄島。ここは時間の都合で島の中までは歩くことが出来なかったが説明を読むと「流紋岩」・「磁石岩」・「瓜割りの水」など気になるところ。もう一度来てみたい。あちこち遊びすぎて大分遅れた昼食は「おろし蕎麦」。 猛烈に辛い「おろし蕎麦」だった。越前のおろし蕎麦は “からみ大根” を使うのでこの店だけが特別の辛さではないとこの時初めて知った。そこから「丸岡城」へ。 天正4年(1576年)に柴田勝豊が築城した2層3階建ての日本最古の天守閣を持つ城。その後「越前竹人形」の工房へ。写真右上は全身が竹で出来ている「越前竹人形」。 竹人形の髪の毛を一本の竹を0,8ミリ? に割いているところなど見学。 伝統を受け継ぐと言うことの大変さ、大切さを感じて我が身のいい加減さをその時に少し反省した。冬の日本海は私の知る限り真っ白なのに今年は荒々しい白波もなく穏やかだった。 それでも我々が行っていた時は寒波が襲来していたのだから今年の暖冬は矢張りタダ事ではない! と言うことなのだろう。写真左上はペンションに飾られていた奥さん手製のフクロウの置物。 2007/02/10(土) 福井 越前水仙&カニ京都八条口にいつものハイキングメンバーは集合した(今回は10人)。 目的地まで約3時間弱の旅。寒気団が来ているというがどこまで走っても雪もなくいつもの大阪の冬のよう。 それほどの寒さでもなくちょっと物足りない。敦賀でご当地名物の「ソースカツ丼」の昼食。店名はヨーロッパ軒。水仙郷は今夜の宿泊先のオーナーさんが迎えに来てくれて案内してくれた。 水仙の匂いの中、日本海を望みながらの一廻り約一時間の散策。 水仙の根元には「フキノトウ」も青々と出ており「藪ツバキ」も盛りだった。 その後「漁り火」というサンセットを眺めながら入れる温泉へ。 残念ながら曇り空で夕日は望めなかったが。。。日本海が一望の丘にある「ペンションぱぶそ」(メンバーの友人が経営)に6時ごろ到着。 皆は3回目だが我々夫婦は2回目。今回も奥様の趣味の陶芸の「フクロウ」が迎えてくれた。前回はペンションじゅうに飾ってあるフクロウ全部を皆で買い上げた思い出がある。 夕食はタグ付きのブランド「越前ガニ」など毎度の事ながら食べきれないほどに出てきた。 宿側では食べきれないことを予想してお持ち帰り用に発泡スチロールの箱を用意してくれていた。お刺身・焼きカニ・蒸しカニ・カニ味噌・セイ甲カニ・水カニのしゃぶしゃぶ・カニのグラタン・カレイの煮付け・山菜の天婦羅など等、最後には奥さんご自慢の“タコ飯”まで。食後は暖炉の前で今年の夏山ハイキングの打ち合わせなどを、また2階の和室でコタツを囲み夜更けまでお喋りを・・・。下は “ぱぶそ” のアドレス。 → http://www.town-echizen.jp/shop/d50.html