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コスタリカ関連


このページには私がとても関心を持っている国、
「コスタリカ」についての情報を載せていきたいと思います。
コスタリカは「軍隊を捨てた国」として知られています。
常備軍はなく、1948年の武装解除以来、軍を編成した経験もありません。
さらに1983年には永世非武装を宣言しているのです。
同じ平和憲法を持ちながら、日本とは違って、
徹底的な対話による平和政策を進めるコスタリカ。
地理的にはアメリカの裏庭に位置し、
東西冷戦の狭間で独裁と内戦の絶えなかった中米地域において、
コスタリカ国民が選択し、守り続けてきたもの。
日本がその姿勢に学べるものはないだろうかと考えています。


まず平和憲法を制定したフィゲーレス元大統領の妻であるカレンさんの
言葉と平和メッセージを載せます。

「私たちは 武器を持たないが闘士である。
 平和は戦い取るものである。
 不断の戦いだけが真の平和をもたらす。
 私が以上に述べた考え方はシンプルだが、
 実現が本当に難しい。
 みなさんと、実現の道を歩んでいきたい。」


平和メッセージ

平和を愛する日本のみなさまと分かち合う私の考え
         コスタリカ共和国元大統領夫人 
         カレン・オルセン・デ・フィゲーレス


2002年5月

尊敬する友人の皆様

心からご挨拶申し上げます。

私達の母なる地球に住む誰とでも、平和について語り合うことができることは
常にひとつの特権であります。そして、芸術、伝統、習慣を尊重する長い歴史を持つ国の
子孫である、皆様のような市民の方々との類似性について、また、特に戦争の不合理、
苦しみ、恐怖を身をもって体験され、生き抜いてこられた皆様と、私達の考えを
分かち合う喜びを持つことができるのであれば、それはさらなる特権といえるでしょう。
そのため、人間はパンのみでは生きていけないこと、現在においては経済でも、生産性でも、
物質的でもそれのみでは生存できないことは、皆様が地球上の誰よりも認識されていることです。

最高の価値である家族、お年寄りを尊敬する心は、平和や自由と同様に、皆様が
世代から世代へと伝え、深めてきた価値観であります。しかし、どんな種類の平和でも
いいのではなく、本当の平和、外面的内面的な平和でなければならず、真の平和は恒久性があり、
個人の枠を越えて、永続的なものであります。

日本が列島であることは何か特別なことを示しています。それは、皆様が透明で開かれている
ことのために、また周囲に強く訴える市民権を護るものとして生まれてきたことを示しています。
皆様の悲しみや喜びを自分のことのようにいつも感じている、私達すべての大陸に住む人々の
眼差しが常に護っていくであろう、海からの心地よい風に皆様方は揺られているのです。

私は日出づる処の国である皆様の、慎ましい賛嘆者の1人であることを知ってください。
私は、大西洋、太平洋を有し、光と色彩に満ちた小さな国からやってきました。そこでは200もの
細かい気候分布に彩られた自然が、地球上の10%を占める動・植物たちに形作られ、
それぞれの美しさを謳歌しています。異なる民族、人種、文化、信条を持った人々が共生し、
それらのすべての人々が、ともに400万という人口を形成しています。若い人口層が多いと
いうことで、大部分の国民が軍隊を知らない人々であります。

50年以上前、私達の祖国に、1人の理想を抱く農民がいました。その時代より先を行っていた
農民は、何より大切にしなければならない価値、侵すことのできない絶対の権利とは、
現在も未来も変わらず、生命への権利であることを理解していました。常に、そして時には
過度とも言えるほど、社会はその権利を、または生命自体を侵害するシステム、
そして「武力」という惑星を破壊し、絶滅させるシステムを作り上げてきました。

「その人は」、前フランス大統領、フランソワ・ミッテランはいいました。
「1948年に軍隊を廃止するという、世界に平和を宣言する勇気があったのです!」

その人とは、私の夫でもある、前大統領ホセ・フィゲーレス・フェレールであり、
敬愛を込めて「ドン・ペペ」と呼ばれています。

新しい共和国を彼が築き上げてから、コスタリカに恩恵を与えたあらゆるもの中で
もっとも明快な判断にひとつであったし、それは未来においても変わらないでしょう。
不名誉なことであり、奴隷のようである制度の鎖から永遠に私達を解放したのです。
武装するための武器を購入すること、自分たちも子どもたちを苦しめることを、
民衆の心から永遠に消し去ったのです。国の軍隊を憲法的にも廃止してから、
憲法上の法律として定められた、死や破壊に費やされていた軍事費はすべて、
人間形成や人類の発展という生命、建設のために向けられました。教育や医療、
すべてのコスタリカ人の生活向上に投資され、50年弱で「福祉国家」となりました。

「なぜ実行しないんだ」」何が邪魔をするというのか」、1948年、ドン・ペペは
問いかけました。「なぜ、平和を愛し、人間を尊重しながら成長できるよりよい未来を
私達の子どもたちに与えることを望むことができないのだ。」

彼は記しています。

「確立された政権の運動は、人間と調和された自然が一致するという目標へ人間社会の
改革に向けられなければならない。自然と闘うということは不毛なものです。
自然が何を欲しているのかを見極めるために研究がなされなければなりません。
これは、科学者、研究者の最優先の使命であり、民衆の教育者、指導者を啓発するものであります。」

軍隊を持たないという、世界的な、人間的な、道徳的な、倫理的なジレンマの解決方法を
見つけた現在、課題はコスタリカ人の生活の質を向上させることであり、また、
そうさせなければなりません。それは、すべての人間の基本的な権利であったり、
各自の願いや希望、基本的に必要なものを実現するものであったり、また、娯楽や、
健全で均衡のとれた自然の美しさや精神性であり、自然や人間の生命が共生する方法を
見いだし、未来の世代が享受するというものです。

民衆の資源を戦争ではなく平和へ充てることは、不信感や無知、貧困、悲惨さ、
大きな社会の不平等と戦うことを可能にしてきました。不公平な教育は、短期、
中期、長期において、いかなる国においても、集団または個人の安全に対する
もっとも深刻な真の脅威となります。教育のある民衆が平和を愛する民衆であります。

コスタリカ人は、祖国を愛し護るために、自身の、または同胞の生命を犠牲にし、
戦いを経験する痛みに苦しむことではなく、教科書で学ぶ以前に、市民教育として、
祖国を愛し、護ることを日常的に経験し、体験しながら生活しています。

「自由は討論するものではなく、自由であると感じるか感じないかである」と、
前大統領であり、祖国の功績者でもあるホセ・フィゲーレス・フェレールは、
私達に教えてくれました。そのように私達も今日、皆様に申し上げます。
賛嘆する日本の友人の皆様、生命を侵害されないという権利もまた
議論する性質のものではありません。「護るか護らないかのいずれかである。」

すべての偉大な行為には必ず、その日がやってきます。そして、人間に恩恵を与える
すべてのことにも、その瞬間がやってきます。世界における私達の場所で、私達の役割において、
再び提起するときがやってきました。口実を設けることなく、私達の地球、そこに住む現在、
未来の人々を守るために、私達に任せられた使命を果たすために、高貴な行いである
すべての現在の活動において私達は力を合わせるべきです。

21世紀の夜明けである今世紀の新しい政治においては、ある決定を下す、また
それらの決定をコントロールするいかなる人にも、持続する、広範囲な、自覚した参加を
市民へ呼びかける聖なる義務と呼べるものが課されています。

ただ単に戦争がない状態が平和ではありません。私達のすべての社会は、内部の安全が
不十分でないという深刻な状況により、脅威にさらされています。今、私達は裏表なく話すべきです。
国内の安全という国家の罠に、また一方では軍国主義の誘惑を退けなければなりません。

21世紀において、平和を維持することは私達の文明のもっとも重大な問題となっています、
戦争か平和のいずれの場面で関わるかを考慮することなしには、いかなる国も
未来を見つめることはできません。いかなる企業もその発展を企画することはできません。
いかなる個人もその人生、仕事の計画を立てることはできません。
これは不当であり、不合理なものです。

平和はすべてに優先するものであります。もっとも人類が希求する崇高なものです。
自然との調和における人類の発展、継続的な発展のために寄与する唯一の道です。

先端技術を有するこの時代、私達は20年前には想像もできなかった新しい時代に生活しています。
まだ洞穴に生活していた先史時代以来、生命を侵害する危険があった時代が続いているのも
事実です。先史時代のこん棒は、ペンタゴンのレーザーに取って代わっています。
しかし、たとえそうであっても、誰も自身の破壊から無事ではありません。

人類はかつてない自己破壊の危険にさらされています。各国政府は、その目的、手段として、
戦争の技術、経済を利用しています。彼ら自身が私達被害者を生み出し、私達は共犯者として
寛容とまで言える、無自覚な受け身的な態度をとり続けています。

日本は最大の技術発展を成し遂げてきました。しかし、恐れながら申し上げますが、
日本は他の多くの国々と同様に国民の精神的平和は成し遂げられていないのではないでしょうか。
私達の真の努力は、その成果として、富ではなく人類発展の目的・主題として、
人間を強力にすることでなければなりません。

私達の人生とは何でしょうか。詩人であるカルデロン・デ・ラ・バルカが詠ったように、
「人生とは幻想であり、夢であり、もしくは熱狂である…」もしくは人生とは、
社会で他の男性、女性に出会う場所で、すべての生きとし生けるものを愛し、
私達の持つ長所、短所を彼たち、彼女たちと分かち合い、外面的にも内面的にも
いかなる暴力・脅威にさらされずに私達の偉大な精神を継承し、享受できるための
もっとも素晴らしい形であります。

現在誇りを持って私も所属する、私の夫が創設した国民解放党の新しい運動において、
私達は特別な責任を負っています。なぜなら、私達の国における国家の軍隊廃止を成し遂げる
という思想的運動があったからです。永遠にまた決して変わることなく非武装、
平和を貫く義務を負っているからです。

将来、人類は二つの脅威にさらされなければならないでしょう。
人類の生存、そして人類の文明化です。
それらは同時に、テロリズム、軍国主義、ほぼ不可逆的な自然環境の破壊でもあります。
何年か前の冷戦の結果は、残念ながら武装主義者の競争の終点を意味するものではなく、
世界における軍国主義の億万長者の傾向がなくなることでもありませんでした。

私達はお互い常に、世界的な「共同の冒険」を成し遂げるための仲間でなければなりません。
私達の政府が、学校外教育、技術教育同様に初期の学校教育から平和教育を行う義務であろう、
私達の「マグナ・カルタ大憲章もしくは憲法上の政策」を築きあげることです。
あらゆる人が心から望む社会、人間が与えられることでしょう。この「平和の文化」が
もたらすものは、この著名な一節を送ってくれた皆様のお国の方による短い言葉で描写されます。
-「産んだ子供たちを決して軍隊に送り出すことがないことを知る幸福なコスタリカの母たち」-
それを世界中の母に望みます。

敬意をこめて、賞賛と友愛をこめて、子どもたちが、銃の代わりに本を抱え、
毎朝家から出ていく、質素で慎ましい、大地に根ざした私達の生活から何かを感じ、
何かを学んでください。









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