引き籠もり鑑賞【其の七】愛刀を観る
伯州住秀春 慶応二寅八月日 2尺5寸四分此の伯州住秀春は、刀剣柴田発行の通販誌【麗】に、昭和44年5月掲載された刀です。当時の価格は、拵え付きで三十万円でした。同じ5月号に掲載されていた、固山宗次の弟子である(一関士宗明)の刀が白鞘で六十万でした。比べてみても、地方の無名の刀工の刀は安値であることが解ります。多くの刀剣を扱っていた刀剣柴田の柴田光男氏であっても、当時伯州住秀春刀工の事は殆ど解ってはいなかったことが、此の解説文でよく解ります。作品の少ない一人鍛冶であろうかとも推測しています。秀の字の名乗りや匂い出来の作風から、水心子系の刀工と推測されているのは流石と思えます。現在でも、中央での知名度は此の時代と大差はないと思われますが、只、強靱な利刀としての知名度は其れなりにあり、知る人ぞ知る刀工といえます。同時期に【因伯の刀工と鍔】と云う書籍が、日本刀剣保存会鳥取支部より発刊され、この中で伯州住秀春刀の押し型や経歴が紹介されましたが、伝承として伝わった事柄は誤った部分が多く,正確な検証がされないまま長く信じられてきました。つい最近、秀春の御子孫のご努力により、真実と思われる事績が判明し、此のブログでも一連の事象を記載致しました。興味がございましたら、五回に渡って【伯州住秀春の研究】と題して記載していますから御覧ください。私の所蔵している伯州住秀春刀の中で最も長寸の刀です。私が此の刀を入手したのは、昭和44年ではなく今から7~8年位前だったと記憶しています。在る刀剣店から売品として出ているのをみて購入を決めました。半世紀近く、何処に嫁入っていたのか知る由もありませんが、造られた当時のまま伝えられたことは、何よりの事だと思っています。(位列下位の刀工の作は。銘が改竄されることが良くあります)拵は麗に記載されているそのままで、幕末当時の物でしょう。刀身は入手後研ぎ直しをしています。反り高く太刀の面影を残し、とっぺい風の鞘に収まっています。姿は尋常ですが、鋒の鋩子は深く焼き松葉先は張らせています。鋒の損傷を考慮した所作であろうかと推測しています。