( photo ) うふふと、にや笑い、かまわず、ひげでチクチクする俺に、頬っぺをこすりつけるどじモデ
翌日6:30食事ホテルの中は仏人のおじいちゃんおばあちゃんで一杯朝飯を食いに行くときエレベーターに乗ろうとしてると見知らぬおばあちゃんが廊下からよたよたと現れた。そして、かあちゃんに「マドモアゼル!」そして、かあちゃんはどっかのばーちゃんとどっかに行っちゃった ス 中々帰ってこないスしばらくして・・・かあちゃんもどってきた。笑なんでも、ばーちゃんは、荷物を詰め込むのにトランクのふたが、閉まらなかったらしい ス 一人で宿泊中のばーちゃんもお人よしのかあちゃんもどーなるのでしょうか ここ、みんな湯治客ス医者に行って背中が痛いあっちが痛いと言うと保険で来れるとのことスヨここもドイツと同じだ、と思った スチェツクイン時受け付けのおじさんが次はぜひ保険できてください、って説明していた訳なっとくです我々まだ、腰痛には早いよ出発してスペイン国境に近づくとラジオがフランス語からスペイン語にかわっていく一時期スペインのこの辺は愛国的な民族昂揚のバスク語放送が流行ったスが今はだいぶ落ち着いてスペイン語で放送しているラジオ局が多い ス考えてみればたいへん スヨスペイン語しか、現実にはわからない人々がフランコの死後、民主自由スペインだから急にバスク語をしゃべろうったってそれからスペイン国境地帯を含めて、ほんの短い距離で4箇所も料金所を通過、これ昔からかわってねえスなんか一キロごとに料金所って感じス超めんどくせースヨ我々のスペイン行きは大昔とこの数年の間に空白地帯があるス空白地帯とは、全然車でスペインに行かなくなってしまったとゆう意味なんスがなぜなら低料金航空会社がどんどんできて飛行機のほうがだんぜん早く安くスペインに行けるようになってしまったからスそれがスペインに海の家がほしいとゆうかあちゃんの突然の決定からまた状況がかわりましたスもうずーっとスペインの家族の方々には洪水のように一方的なお世話になりっぱなしで何のお返しも全然やってないスヨ海の家を作ればみんなが好きなだけ泊まったりできるスヨ作るにあたっちゃたぶんドイツでさえあれだけあったんだからいろいろめんどうくさいだろうけどやろうと決心したスそしてスペインにも車持ってたほうがいいということになりすぐにカングーを買ったスそれから又自動車利用が多くなったわけス現在の道路事情ドイツの高速道路に比べるとスペインは圧倒的に車の交通量が少ない(だからポルシェの実車走行発表会、スペインでやるんだ スネ)さて我々のドライブの話に戻りますが道路のまわりに雪景色が残っていても高速道路自体には、雪がないスそれで超気分がいいスなんせほとんど車に会わずでそみたいスどんどん走っても車いないススペインは西暦2000年以降、めちゃくちゃ高速道路が新設されたスヨ。個人的意見ですけどドイツの次、ここの道路、状態いいスよ。wwなんせ新しいから、ドイツのアウトバーンの知識、全部導入できたでしょうし、なんせ、交通量が、少ないのが、気分よく運転できる最大のポイントス。昔も、北スペインから、ブルゴスまでは、高速道路がありました、しかし、そこからマドリッドまでは、ひどいもんでしたス。狭い一車線のみ、砂埃で、真っ白になるところもあるし、真夏でも普通の車にはクーラーなんてついてませんでしたス。ドイツのベンツでも、大多数は、クーラーなんて、ついてませんでしたスヨ。まあ、ドイツは、そんなに暑いことないからいいんでしょうけど、ベンツ注文するとき、クーラーは、オプションなんですよ、その当時の値段で付けると、10万円以上ですよ、安きゃないですよ。それに、2000年までは、スペインには、ほんとうにわずかな外車しかなかったんスヨ。自由に輸入出来なかったんス。真夏、高速道路のない、一車線のガタガタ道を、対向車の合間をぬって、追い越しをかけながら、走りぬけるのは、神経の磨り減ることだった ス。ひどいときには、完全に頭に血がのぼったドライバーが、前方、対向車無視で突っ込んでくるスヨ。こうなると、みんなは、お手上げ、車をいっぱいに路肩によせて、通りくるトロ(闘牛場の牛)から身をかくします。www何百キロメートルも追い越したり、追い越されたり、そして砂塵、熱さ、、、。その地獄が、今は、天国に変わってしまったス。今は、最低、片側2車線、3、4車線なんて区間もありますヨ。wwこの格差、たまんないス、スペインでは、なんでも思いがけないことが、起こるんスヨ。太陽と影の国、中間なんてないんスヨ。今は、もう本当に、田舎道にいたるまで、完全舗装に近いンすよ。www最近まで、大型トラックに挟まれてヒイ、ヒイ、山越えした所なんか、バイパスで山、通りもしないんですから、大マドリッドも同じ、迂回パスしちゃうんすよ。国土も平地が、多いので、新しい高速を走っていると、古い車道が放棄されたまま横たわっているのを見かけス。そんなに土地が余ってるのか、と思いますよ。wwDax―スペイン国境―Vitoria―Burgos―Madrid―Badajoz―Merida direction―, Sevilla,Zafra,Portugal,―direction Los Santos de Maimona―Zafra―Fregenal de la Sierra― Jerez de los Caballeros(かあちゃんの実家のある村)―Fregenal de la Sierra―Huelva―Portugal direction―Lepe Oeste―Ayamonte―La Redondela―Islantillaとにかくこの日は、約1080km走り、アンダルシアの海岸までは、180kmを残すのみとなったス。16:40 Jerez de los Caballeros村到着、二番目の姉ルイシーの所で一服して、残りを走る予定が、泊まることになったス。義理の母が亡くなってから、もう十年以上の繰り返しス。急いで、一番上の姉マリテレ、テテ伯母などに挨拶にいくス。あまりの到着の早さに、みんなビックリ、ところがスヨ。ルイシーの長男のどじモデが、まだ帰ってきていないとゆう ンスヨ。朝、セビリアを、車で出て、普通ここの村に着くのに、2時間もかからない、それがまだ着かない、おかしいじゃないか?「もう8時間は、経ってるぞ」私「だいじょうぶ事故じゃない、今さっきも、携帯で話したから」とルイシーどじモデは、「雪の中で走れない」 と繰り返して、言うだけだったそうです。ルイシーは、携帯で、話ながらの息子の運転の危険を考えて、すぐ携帯を切ったそうス。「灼熱の国スペイン、異常気象で、アンダルシアに大雪」 テレビ放送50年ぶりのグラナダ、ハエン大雪!!そのうち、義理の兄貴モデストーが帰ってきたス。兄貴は、全然息子のこと気にもかけず、俺に昨日ハンティングで獲った野ばとをしきりに見せるスヨ。夜6時を、過ぎて、どじモデがようやく着いたス。みんな急いで外に出る、どじモデは、いつもとかわらず、出迎えたみんなのりょう頬に、挨拶のキスをしているス。それも二回、どんなに急いでいるときも、これはかかさないス。「今日朝ひげそったんだろうな、俺のホッペに、おまえの頬っぺたあまりつけるなよ。」と俺「うふふと」とにや笑いのどじモデ。そして、かまわずに、ひげでチクチクする俺の頬っぺに、自分の頬を、こすりつけるどじモデ スヨ キモチワリー。雪崩ののような、質問と、スペイン人の母親の息子に対する非難が、始まったス。もうみんな、だれも相手のことなど完全に無視して、一人一人勝手にしゃべっているス(スペイン人は、興奮すると、相手の言うことなど最後迄どころかまったく聞かずに、自分の意見をまくし立てる ンスヨ。)ものすごい喧騒、いつものなりゆきに、しゃべりながら、自分がしゃべりすぎていることに気が付き、笑い出している者も、いるス。黙っているのは、いつも、俺とどじモデ、俺は言葉が下手だからス、どじモデは母親の剣幕に、いつもたじろいでいるからス。ときどき「ママ、違うんだよ、、」とか「ママ、誤解だよ、、」といいだすが、話の腰はすぐに折られ、あとはただ嵐の過ぎ去るのを、まつのみス。「朝早くセビリヤを出た、お前がなんで、同じ朝フランスから出発し、ピレーネ山脈をこえて、1000km以上運転してきた、おまえのおじさん、おばさんより遅くつくのよ。セビリアからここまで、普段なら2時間もかからないんでしょ。一体全体どこをどうほっき歩いてたの。まったくお前は、どじなんだから。」とまくし立てるルイシーに、押されながらも、みんなの意見は、この点では一致していた ス。以下はどじモデ(モデスティーン)の釈明ス「朝アパートを出て、イサ(モデの旧彼女、建築事務所共同経営者、二人とも日本で言う一級建築士)を、彼女のアパートからピックアップして、彼女の新しい男友達の所へ送っていった。だいたい、いつも車20分位、の所なのだが、しかし今日に限ってセビリア市マラソン大会のため、道が、全部一方通行に、変わっていて、なかなか、着かない、結局一時間以上かかってしまった。その後、急いで、ここに来ようと思ったが、道が雪でいっぱい、時速20kmでのろのろ運転、スピードは、ここにあと40kmの所まで、全然上げられなかったんだ。」と、どじモデ。モデストー(父親)がすかさず早口でまくし立てる。「イホミヨ、パドレ!、イサにはかまうな、そっとしてあげなさい、よりによって、なんでイサをこともあろうに、男友達(新しい恋人)の所に、イホミヨ、よりによってお前が送りとどけるんだい、お前たちは何考えてるだ!!マドレミア、ほんとうに、はたで見ているだけで、つかれちまう。」とこんな感じス。イサとモデは、大学の同じクラスだったス。二人で建築事務所共同経営者となり、しばらく同棲していたス。我々も何度も食事している、才色兼備の普通の女の子ス。しかし、突然婚約解消、両親を驚かす。もっと驚いたのは、二人ともお互いに最高の親友であり、もっとも信頼できる共同経営者と信じ、今までの仕事上の関係を維持していることであるス。もうあれから、2年近い歳月が過ぎたス。このことについては、俺はもちろん、理解に苦しむこともあるス が、どじモデが仕事の能率は上がるし、彼女との信頼関係も、今まで一番うまくいっているという言葉には、なんの疑いももたないスヨ。俺はこのがきンチョを小さな時からよく知っているからス。道路が変わった、だけではなかった ンス。何とスペインはかわってしまった スカ?人気blogランキングへ ←―グラシアス(*´-`*)ノ