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カテゴリ:着物とか
松たか子さんの着物が話題になっているので、グダグダ考えたことをメモ。
着物を着るときに、日本人として云々とか日本の伝統が云々というのはナンセンスだという言説をよく見るのですが。 しかし日本人が日本の民族衣装を着るとなると、そこに伝統などを介さずに存在することは難しい。私の場合、自分の行動が日本人の行動として捉えられる状況にあったので、必然、日本を背負った時期があったので、そんな私が着物を着るとき、日本人というファクターを拭い去ることはできない。 そんな私が松さんの着物姿を見ると、地味という感想の前に、日本の誇るべき技術をふんだんに使用した絞りの着物が、世界の表舞台に出ていることに感無量というか。その感慨の前には地味という感想は跳ね除けられてしまう。 勿論、地味と感じたという個人の経験は否定し得ない。 でもそれは、私のように感じる人の経験も等しく否定するべきではない。 最近のリベラル系の言説の中にはここに引っかかりを覚える。個人の心性や経験は否定すべきではないのに、地味という感想を尊重しながらそれを跳ね除けてしまうような感想を持つ人々の経験を否定している。 なんだかよくわからなくなってきたが、ともかく、地味であるという感想もそれを信じられないという感想も等しく個人の経験ではないだろうか。 定本想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険) [ ベネディクト・アンダソン ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.02.12 19:59:04
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