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カテゴリ:生活
戦争責任について論じる番組を聴いていた。みんな戦争はよくない、という結論は知っている。平和がいいに決まっている。でも世界中でまだ戦争がたくさんある。その戦争にはそれぞれ理由があって、お互いの理由は自分にとっては正しいものだと信じているのかもしれない。信じこまされている場合もあるだろう。何を信じるかは教育の力も大きいと思う。 その話題を考えはじめると長くなるので、今日はちょっと別。人間はもともと善か悪かというテーマだ。これについては普段から両親でも意見が分かれている。父は悪といい、母は善という。私はどっちの意見も聞いているが、まだ決められない。 私は体験から人はそれぞれホンネを持っていて、表の顔は必ずしもホンネではないということを知った。私にもホンネとタテマエはある。それを大人になること、ともいう。でも、弟みたいに空気を読んだり期待されていることを言葉なしで理解するなんていうことが難しい人にとってはホンネ=全てだ。言葉はそのまま言葉だし、その後ろに隠されている人のホンネはなかなかわからない。それでものすごく苦労しているわけだ。 世の人の多くは善であると信じたい。けど、そうでもないし、善でいるつもりでも心の弱さに負けて悪が表に出ることもある。一人の中には善も悪も一緒に存在しているわけだから、普段はそのバランスの問題でいい人かどうかが決まっている。 根本的に善か悪かといったらやっぱり私はまだ決められない。善といわれる理由を信じて戦争をしても人を殺せば悪でなないか?どんな人でも命は一番大切ではないか?そしたら、死刑はなんであるのか?すごく悪になってしまった人を助ける道はないのか?などなど、考えだすとまとまらない。とりあえず考えることはしていくけど。 私のような人を生かしておいてくれる世界は基本的には善だろう。善の分量が多い人が周囲にたくさん集まる。話せばわかると信じたいけど、そんなことを言っていられるのは今の日本が平和だからだという人もいる。たぶん戦争中なら私は生きていないだろう。ならばやっぱり生きていたい。だから平和な方がいい。その方が多くの人が善でいられる余裕が生まれるだろう。・・・とはいうものの、やっぱりまだよくわからないことが多いなあ。
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Last updated
2006.08.12 09:00:51
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