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カテゴリ:生活
春の庭は一斉に花が咲く。順番を守って次々に出番がある。舞台のようだ。特に高等部卒業の春に植えたサンザシに新芽が出ると、あのときの元気になりたいと願った気持ちを思い出す。 昨日の暖かさで、色々な色があちこちにちりばめられた。毎年のことだが生命力を感じる。土や地面の力強さを感じる。冬の間、寒くて小さくなっていたのに、それそれ、よっしゃ、と顔を出す新芽や花は、お互いに今年も会えてよかったね~と言っているようだ。 その生命力がなんだか重荷のときもあったが、今年は自分が元気なので光の明るさも苦にならない。心や身体の健康状態で、周囲の景色は見え方がまったく違ってくる。 自分の中ではイメージが「はかない系」になりつつあった桜も、今年は少し違って見えた。たぶん桜は淡々と毎年そこで花をさかせるのだけど、ながめる人の方が変化しているのだなあ、と思う。あたりまえのようなのに、それに最近気がついた。 毎年の同じような行動や出来事も、そちら側から自分を見ると、今年もそれができてよかったなあ、としみじみとする。 私もまさか、自分で、こんなに元気になれるとは思っていなかったし、春の元気は人事だった。時間がかかったけれど、春がだんだん近づいてきてくれた。私も近づこうとした。お互いに歩み寄った。 なので、道端でひろった花びら一枚でも、ちゃんと春は待っていてくれるということを伝えようとしているのではないかと思う。(突然!かば先生が入院中の私に桜の枝を折ってもってきてくれたことを思い出した。あの時のあの桜のメッセージはこれだったんだ!) もしかしたら、今年の春の勢いを今はちょっと、重荷に感じている人がいるかも知れない。みんながうきうき元気にすればするほど、そうできない自分に自分でため息をつきたくなっているかもしれない。 しかし、きっと大丈夫だ。春の生命力はどんな生き物にも必ずあるだろう。ゆっくり歩み寄る人にも春はちゃんとまっている。
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Last updated
2009.04.14 10:31:48
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