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日本の経済的発展により教育レベルもずいぶんアップした。私が子供のころは中学の半分くらいは中卒で就職、4割くらいは高卒で就職、1割くらいが大学進学だった。ホワイトカラーも少なく中卒は職人に高卒は工場勤務で普通だった。今日と違うのはほとんどが正社員だった。皆、勤め上げればそれなりの人生が得られた。会社が個人の将来を担保してくれた。高度成長で生活の保障は確かなものになった。現代はどうだ。正社員は減って臨時雇用が増えて将来が保証されない人が沢山いる。ゆえにNEATも増えた。若いうちは収入もある程度有るし、自由に人生を謳歌出来て過ごしているうちに中年老年と先細りしていく。ここに深刻な自己責任がある。誰も進路をアドバイスしてくれない。資格をとれば、とか、働きながら学校へ行ったら。とか。結局会社の便利な安い労力として利用され将来の糧は何も残らず歳ばっかりくっていく。これは自己責任だ。一方学校に行って知識を得て、会社に正社員として雇用されまっとうな人生を歩み始めた人にも自己責任は当然降りかかってくる。株、fx、すべて自己責任をうたっている。現代の自由な世界は自己責任という条件のなかで何でもできるのである。大抵の人は分かってる。それをいかにも助けるようなふりでギャンブル依存症をいう。ことが多くなっている。パチンコ依存症がそうだ。この人を誰が助けられる。いな不可能でしょう。依存症なんて言葉は都合的だ。私の父は勝負事が好きひで競輪に凝って母の着物をほとんど質屋に入れて失った。誰が彼をいさめる事が出来たろう。やがて金も尽きてやめた。まともに働き始めて私が会社員になった頃よく二人で正月に競輪場に行った。このときは楽しむ競輪なのである。なぜパチンコが90兆円とかの市場になっているか考えてほしい。競馬が20兆円くらいだそうだから結構な大きさである。競馬をやれば分かる。一日やって一回も当たらないこともある。一方何百万も儲けるひともいる。不公平なのだ。情報量が違うのだ。調教師および厩務員騎手は馬券が買えない。しかし馬主は買える。ここに大いなる不公平がある。馬主ともなれば関係者から情報が入ってくるだろう。馬のことを知らなくても当たり馬券は買える。しかもお金持ちだ。株を買うには30万は必要だ。こんな大金庶民は持ってない。金もうけはせいぜい5万くらいで。だからパチンコ屋に足が向かうのだ。この人たちは立派なホテルにあるギャンブル場に行くと思いますか。行くはずがない。たぶんスロットマシンかなんかで大当たりしたニュースなどで一時的に行く人はいるかもしれないがやがていかなくなるでしょう。競馬では万馬券で人を集めても一時的な事でコンスタントに設けてる人は限られた人たちになるでしょう。さてパチンコだ。3万くらいで一回くらいはヒットする。このときは誰も次も又来そうな気がする。警察が依存症対策だとかいってるのはどうも裏がありそうな気がする。そもそも警察が管轄するのも違うきがするが、警察は取り締まるのが仕事だ。取り締まれない何かがあって脅してるんじゃない。
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Last updated
Aug 30, 2017 01:04:53 PM
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