震災後初の活動 『震災について今何ができるのか』
大震災後、しばらく停止していたスカウトの活動でしたが、団として『震災について今何が自分たちに出来ることなのか考えよう』と各隊合同の集会を開きました。 冒頭、団委員長からお話がありました。 今回の大震災では被災者が27,000人と言われている。 そのうち岩手は3,500人が亡くなり、4,500人が行方不明となっている。県内のスカウト・指導者で亡くなった人はいないが、親を亡くした人はいる。大槌の団はスカウトの道具がみんな流されてしまった。 そんな中、盛岡5団のベンチャーは地震直後から近辺の交通整理をしたり、避難所の布団運びや募金、避難所での子どもたちの相手などをしてきている。昨日も救援物資を届けに沿岸各地を回ってきた。 全国のスカウトたちも各地で募金活動をしてくれている。日本連盟でも被災地の子どもたちに文房具を贈ろうという動きがある。また海外、スコットランドやアメリカからも安否についてや力になれることはないか等の問い合わせが入ってきている。逆に海外や他の地域でこのようなことがおこった時に自分たちは何か行動をおこしたか・・・と反省をした。 BPはこう言っている。「周りの人を幸せにすることは、自分が幸せになるということだ」そろそろ何ができるか考えて行動をおこそう。 そして震災直後からベンチャーが今日までしてきたことを報告しました。 まず募金について。連絡を取り合って募金活動をしました。ちょうど何かしなくてはと思い立った人たちが街中に出始めたので、2日間で 460,000円 集まりました。 人の行き来が少ない中での募金でしたが、通常の募金とはやはり違いました。 ※ アップ時と訂正がありました。募金した日は × 翌日・翌々日 → ○ 3/19 3/20 でした・・・ <m(__)m> また地震直後すぐに停電になりました。家路を急ぐ人たちが多い中、ベンチャーのスカウト2人が連絡を取り合い、1時間後には近辺の交差点で手旗を使っての交通整理を始めました。まだ1時間後というと余震も結構あった時点です。その行動の早さに驚きました。 そして、ベンチャーは携帯でお互いにやりとりをしてボランティアを募集しているところへ駆けつけました。電車が止まったので駅前の公共施設が乗客者の避難所になりました。そちらへの布団や食料の運搬は非常階段の上り下りがあるので結構きつかったようです。 また別の沿岸からの被災者対象の避難所では、子どもの遊び相手をしましたが、無邪気にじゃれてくる子どもたちから元気をもらったし、逆に心の中は測り知れないとも思ったそうです。 そして昨日、ベンチャー4人とリーダーたちで被災地沿岸に救援物資を届けに行ってきました。ついに現地入りです・・・ 沿岸の団の指導者から県連に電話が入ったそうです。それで情報を得て各避難所に救援物資を届けることになったようでした。 実際に目にする被災地は悲惨で、数件だけぽつぽつと残っている家が逆に本当にここの地に家々が建っていて人々が生活していたのか・・・と思わせたそうです。現地に行けば何かできるだろうと思ったそうですが、その光景を見て呆然。何も言葉が出てこなかったそうです。 以下、被災地を回ったベンチャーのつぶやきです・・・ ここは沿岸から離れていてあまり被害がなかった地域。それでも瓦礫がすごかった。 いろんな人が瓦礫だけになってしまった中を何かを捜しに歩き回っている。その心情は測り知れない。 歩いている中、行方不明の方がちょうど見つかった場面に出くわした。今歩いている場所にもいたかもしれないし、いるかもしれないという思いが頭から消えなくなった。 崩れかけた建物の中に見える、洗濯物や読みかけたまま開かれた本など日常の跡がそのままで生々しかった。 わずか50cm程度の高さに津波の跡がついているが、同時に車も斜めに突き刺さるようにして流れ着いていた。 堤防になんと家が引っかかっている。そしてこれは二階部分であった。至るところが建物の基礎部分だけ・・・ とにかく粉塵がすごく、マスクをしないと歩けない。 被災地の施設の方々、自衛隊の方々と、被災地から離れた生活を送っている自分たち。それぞれがやるべきことは違うけど連絡をとりあい、それぞれのやるべきことを探っていきたい。 そして各隊毎にこの震災について思ったこと、自分たちに出来ることは何かを考えようとミーティングを持ちました。 そして話し合いの結果、節約はもちろん、被災地の子どもたちに何かを贈ろう・・・学用品や生活必需品、本やトランプなどのちょっとした娯楽道具と共にメッセージを添えて・・・