|
カテゴリ:スピリチュアル
これは今日一日のことなんで、アメリカの日常、というカテゴリーかもしれないが、内容が内容なんで、スピリチュアルのカテゴリーに・・・・ 朝、9時半に家を出てから、夜7時に帰宅するまで、今日は刺激の受けっぱなし。 考える材料がてんこ盛りで、帰ってきた今でも頭が発散状態。 ちょと待って、という感じ。 今日は日曜なので、いつもどおり教会へ。まずは礼拝前の聖書勉強会。 今日のテーマは、「静かなささやき」。まあ、神の啓示やささやきは、心が静まっているときにある、というのが直接的なテーマだが、付随するテーマに、旧約聖書の預言者エリアの残虐行為に対する解釈の問題があった。 そして、この勉強会では、あるテキストを使っているのだが、そのテキストは「概論」「青年成人科」そして「少年少女科」という風に分かれている。 で、前の二つはとおりいっぺんに上記テーマを追っているのだが、なぜか、「少年少女科」のテキストだけ、旧約聖書における神の残虐性とか、このウガンダの虐殺におけるクリスチャン同士の殺し合いに言及している。 しかし、そこには「回答」はない。「・・・なのはなせでしょうか?」という言葉で全て終わっている。そして最後に「平和を学ぶのに困難な聖書箇所をあえて正面から取り上げ、学び、自分達の言葉で語ってみることが大事です。」とある。 そりゃ大事だろう。しかし、このテキスト、ちょっと無責任では?と。 こんな難しいテーマを、よりによって「少年少女科」だけのテキストに掲載し、そして「なぜでしょうか?」「考えてみましょう」でお茶を濁しているなんて・・・・ ところが、その後、ある「衝撃」が。 普段、一番穏やかで、一番キリスト教を信じていることによって、人間そのものが「良い方向」へ変わった、と言えるのではないか、と思われる方と、この問題について少し話をした。 すると、例えば旧約聖書にある神の言葉として出てくる「xxに関するものは一切を滅ぼし尽くせ。男も、女も、子供も乳飲み子も、牛も羊もらくだも撃ち殺せ。容赦してはならない」(サミュエル記)という言葉について聞いてみたら、「悪は、そのかけら、一片でも残っていると最終的には災いも招く話が出ている。だから、その一切を根絶する、滅ぼしつくすことが必要」と平然と言われて、「えっ!」と思ってしまった。 これがたとえ「解釈」だとしても、それに対して疑問を持っている風がまったくないことに「衝撃」を受ける。 この後の、思考の連鎖は、皆さんも想像がつくでしょう。宗教と信仰、良心と教義、組織と信仰、そんなことを改めて考えさせられてしまった。 そして、次に礼拝。 今日の礼拝では、一人の方がこの教会に転入会、そして3人の中学生、高校生、大学生の子供が、新たにクリスチャンとなることを「告白」し、水による「バブテスマ」つまり洗礼を受けた。 そこでは「信仰告白」という形での証しがあり、洗礼があり、そして教会員にはかり、入会を受け入れるかどうか、の賛否が問われる。 この告白、そして洗礼。 この詳細は割愛するが、考えさせられること満載。 そして、午後からは知人宅で、ビデオ学習。 ある演劇のビデオを皆で見る。と同時に、3時間におよぶビデオ学習。 こちらも内容が濃い。 いや、濃すぎ。 午前中の教会でのもろもろが消化し切れていないうちに、怒涛のように、またまた重いテーマへ・・・・ もう頭がついていかない・・・・・ 心で受け止めろ、という声がしている気もするが、それは、ことこのテーマに関しては、一番避けたいこと。 頑張れ、理性!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.01.17 09:54:42
コメント(0) | コメントを書く
[スピリチュアル] カテゴリの最新記事
|
|