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カテゴリ:読書
「複雑系」 いつだっただろう、この言葉を目にしたのは・・・大分昔だったような。 今更ながら、日本に行ったときに見つけた「複雑系」の本を読んでいる。と言っても専門書ではなくて一般向けの、「複雑系」の学問としての発祥を物語風に書いてある本だ。 それなのに、とにかく著者が博識だからだろうけれど、結構内容が濃い。 というよりも、なかなか頭が付いていかない(泣) 典型的な遅読なので、もうそろそろ一ヶ月になろうとしているのに、まだ三分の二ぐらいのところを読んでいる・・・。毎日数十ページぐらいずつ、少しずつ・・ それも、もう20年前の話を、である。 いったい、この学問の最先端は今日どうなってしまっているんだろう、と考えてしまった。 数学とコンピューターシミュレーションに支えられたこの「複雑系」、コンピュータの飛躍的な進歩で、この20年、相当な進展を見せているに違いない。 しかし、その端緒において活発に議論されていた「経済学」への複雑系の適用についてはそれほどうまく発展していないに違いない。 なぜなら、生物の発生・進化と同様に「複雑系」のシステムの代表である「社会」そしてその中では伝統的に数学的な解析が進んでいた「経済」システムであったにしろ、今でも経済の市場予測というものの精度がそれほど上がっているとは思えないからだ。 考えてみると、人間の活動に影響を及ぼす諸要素を全て包含して、そのシステムの自己組織化とか創発性というのを厳密に定義することすら、気が遠くなるほどの難しさだろう。 なんとなれば、もし経済を正確に予測できるシステムが開発されたら、それを人間は知っているわけだから、その予測を出し抜こうとする人間は確実に居る。 となると、「完全に予測できた未来」は、この「予測を裏切ろうとする人間」の行動によって、確実に現実にはならないから、「完全に予測できた未来」の予測は当たらない予測とならざるを得ない。 これはパラドクスだ。 それをも計算要素に含んだシステム、というのはいたちごっこで、実現しようがないのではないか、と思ってしまう。 この「複雑系」、人間の恣意性を限定できる分野でしか生かされないのでは、と、この本を読んで漠然と考えてしまったのだが、今はいったいどうなっているのだろうか? しかし、この本、幾多の天才が、いろいろな分野で研究していたものが、「複雑系」というコンセプトの元にぞくぞくと集結してきて、一気に学問としての産声を上げる様は本当に圧巻だ。 人間の、知性の可能性は無限ではないか、と思わされるほどに・・・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.04.29 12:48:11
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