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テーマ:旅のあれこれ(10281)
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言い忘れてましたが やっぱこの旅行記は 平日限定らしいです(・_・;) っつーコトで 蓮池譚と85大楼見学の後は お待ちかねのランチです しかも 高級ホテルの展望レストランで\(◎o◎)/ 高雄寒軒国際大飯店 ハンシュェン・インターナショナル (ガオシィュン ハンシュェングゥォジーダーファンディェン)40F 素晴らしい景色が 額縁の様な窓枠から一望できるレストラン 観海軒中餐庁(グァンハイシュェンヂョンツァンティン ) んぢゃ いっただっきまぁ~すヽ(=´▽`=)ノ あっさりして それでいて深みのある お上品なお味でございますm(__)m 特に 豚の角煮は絶品でございました お腹を満たしたら とある港に着きました ここからフェリーに乗るって。。。(・_・;) どう見ても オラが村の渡し船の距離と変わんない対岸ぢゃねぇか ところがドッコイ この数のバイク・チャリが行き来する(@_@;) そりゃ フェリーぢゃないとねぇ。。。 潮風が爽やかだよ~o(*^▽^*)o 午前中に上った85大楼もよく見える 工業地帯の海って感じね 軍艦も停泊 確か軍港とか造船所もあるんだよねσ( ̄、 ̄=) とかしている間 僅か10分足らずで対岸が見えてきた 旗津(チージン) 旗津風景区は高雄港西側の高雄市旗津区の旗津半島にあります。位置的に旗山の後ろ側にあったので、昔から旗後(旗后)と呼ばれており、船が往来している場所であることから、現在では旗津と呼ばれるようになりました。 旗津は砂洲になっていて、南北約11.3km、平均幅200mで、高雄市で最も古い海港です。旗津は、元々は台湾本島と繋がっていましたが、1967年に高雄港の第2港を作るため、半島の地形を切り離したため、旗津は独立した小島となりました。1984年には南東部に海底トンネルが完成し、高雄と旗津間の交通が良くなったため、旗津は観光地として発展を遂げるようになりました。現在では旗津は海鮮料理、フェリーや歴史・人文古跡、史跡など、たくさんの観光客が訪れるエリアとなりました。 ~遊々台北より~ フムフム 三輪車の派手さが 観光地だと物語ってるわ 船着き場のすぐ目の前に旗津の歴史を知る廟が建ってる 旗後天后宮(チーホウティェンホウゴン) 海の近くでは守り神「媽祖様」は欠かせません。その昔港が発展していたこの地域も、海賊や台風などの自然災害に悩まされていました。 1961年に建てられた旗後天后宮はまたの名を「旗津天后宮」「旗津媽祖廟」と呼ばれています。 高雄最古の廟として年中参拝客が絶えず、現在においても地元住民の篤い信仰の対象となっていて、1979年に国により三級古蹟(三級史跡)に指定されました。 ~あこ調べ~ 天井のように飾られた提燈 媽祖様だぁ 柱が黒いのは 線香の煤によるものだそうよ(・o・) 傷みを防ぐため 神殿の上に屋根が取り付けられたらしい 廟の奥には 日本統治時代の旗津の古い地図なんかもあって 日本人が経営する一般の商店もあったわ(@_@。 横浜中華街の媽祖廟にもいる 順風時将軍と 千里眼将軍がいて 奴らの正体がいったい何者なのか 蔡ちゃんに聞いた 将軍組(ジィァンジュンズー) 「将軍組」とは、関羽様の息子にあたる「関平(かんぺい)」と家来の「周倉(しゅうそう)」、 媽祖廟(まそびょう)で媽祖様を守る「順風耳(じゅんぷうじ)」と「千里眼(せんりがん)」の4人。 順風耳将軍は、いかなることも聞き分けられる「耳をもつ鬼神」(別名赤鬼)、 千里眼将軍は、千里先まで見渡せる「眼を持つ鬼神」(別名緑鬼)と呼ばれ親しまれている。 ~蔡ちゃん説明より~ へぇぇぇぇぇぇw( ̄o ̄)w アタシの知性に益々の磨きをかけながら 旗津のメインストリートを のんびり散策する (っつーかずっとしゃべりっ放し) ♪オンナ三人そろったら~ かしましいとは 。。。。。 このコトか(-_-;) あこの日々のヨロコビとなります 毎日ポチッとヨロシクね
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