サドンデス7人目。最後まで諦めない、という気持ちがのぞく川口の強い目が印象的だった。PK戦というのは本当にGKにとって残酷な勝負。でも、ジーコや俊輔が言うように、ブーイングをあび、不利な判定を受ける経験も、選手を成長させる結果につながったと思う。ジーコいわく、相手を貶める気持ちを持っているとああいう目(負けて帰らないといけない)に会う。お互いにプレーを認め合って尊重する気持ちが大切。強く、しなやかな心をもつことの大切さを教えられた。
良くやった~、ジーコJAPAN!
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今日から8月、帰省の季節だ。毎年お盆と正月は夫の実家へ家族そろって帰っている。長男だから~というお土地柄だ。来年はウチの長男ペン太も中3となるので、ずっと続いたこの年度行事も今年限りかもしれない。実家の回りは山と川と畑と田んぼしかないところで、町のはずれには温泉がある。6年前にウチの車はオートマになったので、義父の軽トラックを借りてクラッチを踏みふみ買い物に行くのがなによりの楽しみだ。
もうひとつのお楽しみは盆踊りである。団地っ子だった私には、盆踊りといえば団地の中心の噴水広場を囲んで3重4重になって踊るものだった。噴水の上に組まれた大きなやぐらで歌を歌ってた子は、数年後歌手になっていてびっくりした。(←コーヒールンバのあの人) 今、私のS玉の実家がある町内でも、盆踊りは同じようなものである。ところが夫の実家の盆踊りは違った。踊り子隊が結成されて、初盆の家の前で踊るのだ。踊り子隊を受け入れる側はビールやジュース、スイカやつまみを振舞う。一時飲んですぐに次の初盆の家へ向かう。最後は一本の道を挟んで300メートルも離れていない2軒の寺の境内で踊って解散となるのだ。
まず、8月に入ると夜の練習が始まる。毎晩7~9時まで公民館に子供が集まり、大人が子供たちに踊りを教える。教えてもらう側には若いお父さんお母さんも入るが、だいたい夫婦どちらかは地元の人だ。子供たちは、踊りの練習のあとにかならず振舞われるアイスがお目当て。練習は10日間程度で、そのあいだ初盆の家々をどのルートで回るかが地域の役員で決められ、子供たちはやぐらの飾りつけの紙花作りなどに追われる。
レギュラー4曲に毎年1曲だけ新曲が加わり、これは婦人会がお手本になる。驚くことにレギュラーの内、3曲は夫が小さい頃からずっと同じとのこと。曲名がわかっているのが一つだけ(小林旭の自動車ショー歌)、あとの音源はもうみつからないかしら、と心配だ。新しく加わったレギュラーは、8,9年前(だと思うが)に新曲だった「いざゆけ若鷹軍団」=ダイエーホークス応援歌で、あまりにみんなが燃えたのでレギュラーに昇格したのだった。
こうして子供プラス大人の踊り子隊が結成。やぐらを組み立て、紙花で飾られた軽トラにスピーカーを載せて、いざ出発。初盆の家が多いと一箇所4曲、少なかったら5曲だが、初盆の家が多すぎると逆に二日に分けて5曲になったり。踊り子隊は6時半~11時まで踊る。次の日はかなり足が痛くなる。でも、踊って楽しくストレス解消、もう言うこと無しなのである。(外から帰る嫁はこれだから、って声が聞こえそうだけど(((((^^ゞ)